5月9日「山川穂高選手が3冠王候補、背番号66万波選手を指導。秋山選手はテキサスエルパソへ。ベルーナドームの周りが賑やかです」

 山川穂高選手の打棒が爆発しています。昨日(8日)の日本ハムファイターズ戦において4番ファーストで出場。4打数3安打5打点、2本塁打です。初回2死一塁で13号のツーラン本塁打、3回は1死一塁三塁でスリーラン本塁打。試合は5対1で西武の勝利。山川選手の2本の本塁打で、勝負が決まりました。本塁打の威力は物凄いものがあります。

 昨日のNHKサンデースポーツのコメンテーターは落合博満氏、彼は3冠王を3度(1982・1985・1986年)獲得しています。日本球界が生んだ最高の打者の一人です。アナウンサーが落合氏に「3冠王になれるのは、どの様な選手ですか?」と言う質問。落合氏は具体的に名前をあげ、「セ・リーグでは巨人の岡本、ヤクルトの村上、パ・リーグでは西武の山川、ソフトバンクの柳田です」と即答していました。

 落合氏の言う通り、打者は本塁打を打てなければ3冠王は絶対獲れません。さて、今3冠王に最も近いのは誰でしょうか。それは前出の山川選手です。昨日の2本の本塁打で14号、2位との差は8本。打点は昨日の5点で31点となり、27点の浅村選手を抜きました。打率はというと、パ・リーグの規定打席には25打席足りませんが、3割7分5厘です。これは、現在の首位打者である日本ハムの松本剛選手の3割5分2厘を上回るものです。怪我で13試合も出場できなかったですが、この桁外れの数字です。今後の活躍が楽しみです。

 昨年の「文部科学大臣杯争奪全国小学生(3・4年生)ティーボール選手権大会」の開会式において、私は、「この球場で3週間前、松坂選手の引退試合が行われました。その際、突然イチロー選手が花束を持ってこのグラウンドに駆けつけました。君たちはその同じグラウンドでこれからプレーしようとしているのです。最高の思い出を残してください」と言う挨拶をしました。この夏の全国大会では、「あの山川選手がここをホームグラウンドとして、汗を掻き、本塁打を連発しているのです。君たちも今日は山川選手のようにこのグラウンドで本塁打を打って、最高の思い出を残してください」と挨拶できますね。山川選手!宜しくお願い致します。

 その山川選手が試合前、日本ハムファイターズの万波選手に、打撃指導を行ったとのこと。この発想は凄いことです(この指導をお願いした日ハム新庄監督も「ナイストライ」、その提案をOKした西武の辻監督も大人の対応です)。山川選手!将来のある打者に指導して、そしてまた自分でも成長されるのです。いいですね。これも「ナイストライ」か。

 余談ですが、万波選手の背番号が66というのは知っておられますか。男子ソフトボールの名選手で日本ハムに入団した大嶋匠選手が付けていた背番号です。彼の背番号を受け継ぎました。その関係で、私は、隠れ万波選手のファンです。この山川選手のアドバイスで、背番号66が活躍することを願っています。

 西武の球場で内野手として輝いているのは、山川選手だけではありません。ソフトボール経験者の名遊撃手源田選手、稀有のホームランバッター中村選手・おかわり君、ユティリティプレヤーの外崎選手、古くは、石毛選手、辻選手、田邊選手、外野手と言えば、古くは秋山選手(後ソフトバンク監督)、現在では、私の二条中学野球部後輩の金子選手、捕手では、平安高校後輩の炭谷選手、現在は森選手、投手では、古くは東尾選手、森選手、松沼選手兄弟、工藤選手、前出の松坂選手、現在では、平良選手や増田選手の救援投手、本当に沢山の名選手が、西武の球場から輩出されました。

 その伝統ある球場で、今夏の「文部科学大臣杯争奪全国小学生(3・4年生)ティーボール選手権大会」が開催されるのです。これから都道府県各地で、この予選会に出場する選手の皆さん!!ご活躍を祈念いたします。

 あ!そうそう、忘れていましたメジャーに行った西武の秋山選手。先日レッズから自由契約選手となり、日本野球界への復帰も取りざたされていましたが、本日の新聞によると、パドレスとマイナー契約を結ぶことになったとか。西武への復帰はまだ先のようです。さて、パドレスのマイナーと言えば、3Aテキサス州エルパソ市ではないですか。この町、以前もこの「理事長からのメッセージ」で書きましたが、「ツーパウンドステーキを食べた街」です。私がハワイ大学野球部の客員コーチをして、エルパソに遠征した時のことでした。懐かしいなあー。ひと時、秋山選手には、西武へ戻りで再活躍を願っていたのですが・・・。この選択はご本人の希望とか、それならエルパソの秋山選手を応援します。 ガンバレ秋山選手!!

 「山川選手の3冠王」、と周りが煩い西武ライオンズ絡みのこの週末をお伝えしました。本日のマンデーモーニング・クオーターバックでした。