6月15日「オンライン世界移植者スポーツ大会」のテレビを見て、50年前の中学生全国「放送陸上」大会を思い出しました

 先週金曜日の報道ステーションを見ました。そこでのスポーツニュースは「移植者のオリンピック」正式名称は「世界移植者スポーツ大会」でした。臓器移植を受けた移植者や家族がドナーへの感謝と健康な身体を世界に発信するために2年に一度開催される国際スポーツ大会。今年はアメリカのヒューストンで開催されるはずでしたが、新型コロナの影響で中止になり、代わってオンラインによる開催。日本からは10人が参加したとのこと。

 オンラインでの開催がグッドアイディアのため、司会者もコメンテイターも感心しきり。私も、このような意義のある大会がオンラインで開催されて本当に良かったなと思いました。そこで私は、約50年前の「全国中学生陸上選手権大会」別名「放送陸上」を思い出しました。それは正に、今のオンライン全国大会だったからです。

 1950年代の中学生全国大会は、ある地域に全国から中学生競技者が集まってタイムや距離を競うことは禁止されていたのです。ですから、その頃は「放送陸上全国大会」と言って、47都道府県の中学生が同じ日に自分が所属する各都道府県の競技場で競技するのです。そこで、どの県のどの選手が100メートルを何秒で走った。走る幅跳びでは何メートル飛んだ。砲丸投げでは何メートル投げた、と各都道府県で連絡し、競争し合うのです。そして、その日最も成績の良かった選手の順に1番、2番、3番と順位をつけていくのでした。(大会名で私の記憶違いがあればゴメンナサイ)

 実は、私その大会に出場したのです。京都二条中学校での所属部は野球部。いわゆる陸上部にかり出されてのこの全国大会出場です。競技種目は走り幅跳びでした。これには、その大会前に二条中学校で運動会があったのです。50メートル走は自信あったのでそれに出場しようと思っていたら、陸上部の顧問の先生が来て「おい!吉村!お前走り幅跳びで出ろ」運動靴だったのですが、言われるままに出場。運動靴で跳びました。顧問の先生が、「お!これ!京都新記録だ」。そこで全国大会の出場が決まり。顧問の先生が、「おい!吉村!お前、全国大会は運動靴はダメだ、スパイクを必ずもってこい」私は「はい」。そして、全国大会は西京極陸上競技場、立派なところでした。野球部だった私は隣の西京極野球場の方に行きたかったのですが。中学の京都大会ではそんな立派なグラウンドは使用できません。走り幅跳びは、全国大会だからこの京都では最高の舞台西京極競技場で躍動できたのでした。

 大会当日、私は最高の名誉と思い、スパイクを履いて跳びました。一回目かなり自信のある跳躍、今でも覚えています。皆さん何メートル跳んだと思いますか。記録は確か「無し」です。何故だかわかりますか?実は、私は野球のスパイクを履いて跳んだのです。跳び終わった後、記録員の先生が私に歩み寄ってきました。私には何が何だかわかりません。これが、私が全国大会「放送陸上」に出たときの思い出でです。これが今でいう「オンライン全国大会」でした。

 さて、この「放送陸上」の考え方は、このティーボール大会でもとても大切にしています。それは、「関東健康福祉ティーボール大会」を思い出してください。これは決して全国規模の大会にはしていないのです。出来るだけ都道府県単位での開催をお願いしています。障がいのある方とない方との試合、障がいもざまざまです。もし何か事故があったときは、保護者の方、あるいはかかりつけのお医者さんが近くにいてくださる。これ物凄く心強いのです。「幼児&小学1・2年生のどか点ティーボール大会」も同様の考えです。一番大きな大会でも、関東、あるいは近畿、東海、四国、九州までとするようお願いしています。

「世界移植者スポーツ大会」がオンラインの大会になったと聞いて、50年前の「放送陸上・全国大会」を思い出しました。そしてこの機会に、上記の二つの大会をなぜ全国大会にしないで、皆様方の都道府県の連盟にお任せしているか、この「理事長からのメッセージ」でご理解いただけたでしょうか。今後とも二つの大会を宜しくお願い致します。