1月14日「丸山先生、「体育」、「スポーツ」これでよろしいでしょうか?」

 昨年の今日、丸山先生は天国に行かれました。今日は一周忌です。

 丸山先生、大学院のころから約30年近く、週4,5回多い時は毎日夜10時ジャストになると、決まって自宅に電話がありました。家内も公認です。内容は、大学、大学院、研究、教育、ソフトボール、指導法、様々でした。1993年日本ティーボール協会を立ち上げてから、ティーボールだけでも、ルール、用具、連盟の運営、協会のあり方、地方連盟の立ち上げ等、何から何まで相談・連絡をしてこられました。兎に角、几帳面で、誠実で、博識で、正義感の強い人でした。ティーボール以外では、いつも私は相談にのって貰ったり、逆に相談されたりという間柄でした。彼は私より年下でしたが、私は彼を心から尊敬していました。専門の体育学、スポーツ、幼児教育、健康教育と、私と彼は専門領域が近いので話が尽きないのでした。ある意味では彼は私のいいライバルでもあったのかもしれません。

 今、この1年、私がどれほど寂しい、辛い思いでいるか、読者の皆さんご理解いただけますか。

 さて今日の日刊スポーツの松浪健四郎先生の記事、いささか驚きました。「体育とスポーツは同じでない」、「体育を単にスポーツと言い換えるのは間違っているぞ」というもの。これは、国会で、「体育」から「スポーツ」へ転じさせる委員会で議論されたことへの反論。丸山先生も同感、同意見のはずです。あの松浪健四郎先生、丸山先生の一周忌にちなんでこの記事を書いたなと推察しました。(松浪先生は、丸山先生の兄貴分。日体大の先輩後輩、日大大学院修士、博士課程の先輩後輩の間柄。)

 内容は、「体育」は、「身体教育」であって「スポーツ」と違う。というもの。そのとおりです。私風に説明すると、これ英語で説明するととても分かりやすいのです。先ず、「体育」、「フィジカル・エヂュケーション」(身体教育)、松浪先生がおっしゃる通りです。では、スポーツは、松浪先生は記述されていませんでしたが、スポート(遊び)、です。スポート(遊び)が時代とともに数多くなって来たので、それに、複数形の(S)がついて、スポーツとなったのです(※)。更に、その類似語として、「アスレチック」という語があります。これは、米語(アメリカ語)では、「競技スポーツ」のことです。日本では、これらを混同(ミックスアップ)しています。

 体育の指導者は、原則学校の先生ですから「先生」です。アスレチック(競技スポーツ)関係の指導者は、「コーチ」です。そして、スポーツの指導者は、なんでしょうねえ。いい日本語が見つかりません、もともと遊びの指導者ですから。「スポーツ指導者」とでもいうのでしょうか。この道の専門家にお教えいただきたいですねえ。

 では、教授(プロフェッサー)は、なんでしょうか。これは、専門家の職業、英語でプロフェッション(本当のプロの職業)からの派生語です。ですから、「先生」のさらなるプロの専門家は、教授。コーチのさらなるプロの専門家も、教授。スポーツ指導者のさらなるプロの専門家も「教授」です。

 丸山先生、こんな説明でよろしいですか。私は、体育学から健康科学に移行したのはもう30年以上の前のことです。この考えは、カビが生えているかもしれません。その場合はゴメンナサイ。でも英語は、いつまでたっても、いつの時代でもほぼ同じですゾ。

 ティーボールの指導者の方々、「先生」も魅力的です。「コーチ」もほれぼれします。「スポーツ指導者」も柔軟な対応ができ、皆から尊敬されます。どのようなタイプになられてもいいですから、児童、生徒、選手を愛して、懐の深いご指導をお願いします。

 今日の夜10時ジャスト、天国の丸山先生から長電話がありそうです。あんたの上記のような説明は下手だ。上手くないとまた怒られそうです。その怒られる準備、長電話に対応するために、今日はこれくらいで「理事長からのメッセージ」を終わります。

 丸山先生を、偲ぶ「第一話」でした。

※ なお、スポーツには様々な見解があります。