10月8日「早稲田大学野球部第100代主将斎藤佑樹選手が引退を表明。一緒に野球界の底辺拡大に努めたいですね」

 先週の金曜日、日本ハムファイターズの斎藤佑樹投手が引退を表明しました。右肘靱帯断裂から懸命のリハビリを続けたが、体力の限界を感じ、この度の決断となったようです。早稲田実業と駒大苫小牧の甲子園決勝で、田中将大選手を三振に仕留めた試合は、何回テレビで見たことか。それから早稲田大学に進学、大学でも4度の優勝を経験。日ハムでは、15勝26敗、防御率は4・34。

 この引退の情報を私に最初にくださったのが、日本ティーボール協会副会長の池田哲雄さん。それは先週の金曜日、13時30分から14時30分に間、公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ)の理事会の中にあるコンプライアンス委員会がオンラインで開催されました。その会議の前に、池田さんから「斎藤佑樹引退」のことを聴きました。とても残念に思いましたが、斎藤選手本人は燃え尽きたのかな、体調は戻らなかったのかな、というのが私の感想でした。

 斎藤選手は2007年11月6日、早稲田大学野球部第100代主将に就任。その1年後は同級生の大石投手(現西武二軍コーチ)と福井投手(現楽天)とともに早大ドラフト1位の三羽ガラスとしてプロ野球界へ。実は、この大石選手と福井選手は私のスポーツ科学部の「ソフトボール実習」を履修しました。二人とも素晴らしい学生であり、優秀な受講生でした。その授業では主に練習法を教え、その後はファーストピッチとスローピッチのソフトボールの試合、最後には、日本式ティーボールを小学生やお年寄りに加えて、障がいのある人でも「ベースボール型」として楽しめるのだときっちり教えました。残念ながら、斎藤君は所属学部が違ったので、この授業を履修することはありませんでした。大石君と福井君はティーボールがどれほど魅力的なスポーツかということをよく知っているはずです。

 大事な人を忘れていました。当時の野球部主務の福満遼君。彼は今、日本ティーボール協会評議員で中級指導者資格保有者。彼は私のゼミ生で、斎藤君、大石君、福井君という3大スターをチームに抱え、ゼミ生にその時々の「斎藤フィーバー」に対してよく愚痴をこぼしていました。しかし、彼はそこで多くのことを学びました。ある日、彼は「先生これ新チームになってからお客様から頂いた名刺の数です」といって分厚い名刺の束を見せてくれました。そのお陰でしょう。彼は大勢のマスコミ関係者、先輩、ファン等の対応で人間的に物凄く成長されました。

 斎藤佑樹選手が日ハムに入った1年後、ソフトボールの大嶋匠君が同球団でお世話になりました。1年目の沖縄キャンプの時、大嶋君と談笑しているのを嬉しく見守る私がそこにはいました。同じ群馬県の出身、1年後輩の大嶋君を可愛がってくれたのでした。二軍の試合で二人はバッテリーを組んでいたのをよく新聞で拝見しました。大変嬉しいひと時でもありましたが、一方で、早く二人で一軍の試合に出て、活躍してくれないかなあと思ったこともありました。

 さて、引退後は、どの様にされるのでしょうか。興味がありますね。新聞紙上ではニュースキャスターか政治家かそれとも何かとまたまたうるさいです。でもそれだけの大スターですからね。斎藤選手曰く「まだ考えていない、自分が今まで育った環境に恩返しをしたい」ですって。もう決まりですね。NPO法人日本ティーボール協会の会員になってください。一緒に野球の底辺拡大に頑張りましょう。いつでも「チョウ・ウエルカム」ですよ。 ねえ! 会員の皆さん。