11月17日 平安高校の二人後輩、今後の活躍が楽しみです。頑張れ! 炭谷銀仁朗選手! 東京大学T先生! 誰よりも応援していますよー。
今日11月17日の朝日新聞のスポーツ面の「野球短信」に、以下の記事が掲載されました。■炭谷が西武に復帰 西武は16日、今季楽天を戦力外になった炭谷銀仁朗捕手(36)を獲得したと発表した。6季ぶりの西武復帰となる。背番号「27」。とありました。
良かったですね。炭谷選手は、1987年生まれで京都市出身、平安高校を卒業後、西武ライオンズに入団、レギュラーとして大活躍。2013年、2017年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では、日本代表として出場した名捕手です。
ドラフトで西武に(その時の背番号が「27」)。その折、平安高校のY校長先生から「炭谷銀仁朗君が先生の勤務地である所沢=西武ライオンズに就職が決まりましたので、宜しく」という電話を頂きました。そのようなことがあり、私は西武の開幕戦に応援に行きました。その開幕戦では、高校出身の捕手として先発スタメン、驚きました。捕手というのは豊富な経験が必要となるポジションですから。その試合に西武職員Dさんの粋な計らいで、私は試合直前のダッグアウトに案内され、炭谷選手を激励する機会を頂きました。それからの炭谷選手の選手としての活躍は皆さんご存じの通りです。
2017年12月から日本プロ野球選手会の第9代の会長を務めたことでも有名です。大学に進学せずに、この組織の会長を務められたのは凄いことです。人格者であり、それと深い知識と経験を有し、人を見る目、空気を読む力、決断力、統率力等、様々な能力をお持ちであったことは、いまさらここで私が書くまでもありません。
2019年(FA)フリーエージェントで読売ジャイアンツに移籍、その後21年夏に楽天に電撃トレードで移籍。近年、楽天では、西武の同僚だった岸投手が登板する時はスタメンマスクでしたが、それ以外はベンチウオーマーが多く、心配していました。そこでの戦力外通告。この度、西武がよくぞ選手として採用してくれました。新聞報道等によると、西武の渡辺GMは、「炭谷には、戦力としてライオンズに戻って来てもらった」とのこと。ありがとう!渡辺GM。炭谷選手は、きっと古巣でこれからの数年間試合に出場して、若手の見本、本人の活躍等、様々な形でチームに貢献されるでしょう。
西武の開幕戦は、私は多くの部員を連れて、大声で、「炭谷―」、というよりも「銀仁朗―」、「銀ちゃんー」と叫びながら応援します。そうそう平安高校のOB会たちのメンバーにも声をかけて、早稲田と平安合同で応援したいですね。「銀ちゃん!頑張れー」
明後日、平安高校陸上部OBのT先生が、早稲田大学ソフトボール部男子部員と女子部員に対して、「ランニング教室」(走り方教室)を行ってくれます。T先生は早稲田大学卒業後、東京大学修士課程、博士課程を経て、現在も東京大学で研究を続けておられます。
ここではそのT先生が高校時代活躍した新聞記事がここにあります。少し紹介します。
見出しが、「男子T選手V、インターハイ近畿予選 逆風に負けず力走」記事の内容は、「陸上競技第3日は、奈良の鴻ノ池陸上競技場で男女10種目の決勝などを行い200メートルはT(龍谷大学平安)が21秒83で優勝」。また、別に記事では、「向かい風の中で、Tは逆風に負けない力強いフォームで走り切った。Tは前日の100メートルで自己ベストを出しながら2位」。平安高校は野球だけではありません。T先生!凄い!
高校卒業後、早稲田大学でも競走部に所属、短距離ランナーとして、大活躍されました。私と当時のT君とは、同じ所沢キャンパスでいたものですから、度々、母校平安についての話をしたものです。彼が大学4年生の部活を終了した冬には、ソフトボール部員に対して「T君によるランニング教室」を行ってもらいました。大変好評でした。明後日はそれから約10年振りでの開催です。ソフトボール部員は多くの学びをしてくれることでしょう。
この二人と私は不思議な「縁」があります。先ず前者の炭谷銀仁朗選手は、その出身中学は下鴨中学です。ご存じのように下鴨神社の近くにあります。私は二条中学出身。二条城の横にあります。下鴨神社と二条城は近いです、自宅も勿論近所。
T先生は、京都府宇治市の生まれで、私の祖父、父、兄が経営してきた広野幼稚園の卒園生。T君を幼稚園で教えた先生がついこの間まで広野幼稚園に勤務されていました。
平安高校の二人の後輩たち、今後の活躍が見ものです。頑張れ!ご両人!誰よりも応援していますよー。