11月16日 研究と実践(その4)。ベースボール誕生・発展の歴史からその本質を学ぶ。そして「日本式ティーボール」の考案・紹介・普及に向けて!

 1977年3月「早稲田大学体育研究紀要」に、「レクリエーション(再創造)球技における一考察―ベースボールとソフトボールを中心として―」という題目で、米国のベースボールとソフトボールの創造と変遷についての論文を発表しました。以下、その概要を述べたいと思います。

 この論文は、19世紀後半における米国は、建国を第一義的に考えその権威と意志とに絶対の力を持ち、他国、特に欧州に対して優位な立場にあるべきことを目標とした国家主義の立場をとっていた。このような社会的背景に在って、米国は欧州思想を排斥し、米国独自の方向を創造すべき必要性を国民が認識し始めていた。その結果、米国産業界においては、根本的な変化を及ぼす数々の新発明や新発見がなされた。これがいわゆる米国の産業革命であった…から始まります。

 このような社会的背景のもとに、1887年「インドアベースボール」(後のソフトボールの1つ)、1892年「バスケットボール」、1895年「バレーボール」が、米国で考案されたのです。これらの3球技の特徴は、従来の野外球技を簡素化し、室内でも手軽に、いつでも老若男女が危険なく、楽しく身体活動を出来る球技として新しく創造(レクリエーション)されたものであり、特に、労働者には最適の球技として大歓迎されたのでした。

 ベースボールは、18世紀中ごろから、クリケットで使用するウィケットの代わりにベース(布切れの意)が使用されました。そのベースが2か所(クリケット型)、3ヶ所(三角ベース)、4ヶ所(フォーコーナーズ・野球型)、5か所(ファイブコーナーズ)に置かれたりして遊ばれたりしたのです。そこで、上記のように、室内でも行えるベースボール型も誕生したのでした。

 【ベースボールとソフトボールの発生過程の誤解】

 1907年米国において、野球起源決定特別委員会が組織され、その席で決定されたベースボールの起源は、「ベースボールとは、1839年にアブナー・ダブルデェによって、考案されたもの」とされていましたが、この説は、ロビン・カーバー、ヘンリー・チャドウィック、ウイリアム・クラーク、R.W.ヘンダーソンによって、完全に覆らせる十分な資料を提示し説明しています(詳しくは、本論文を参照してください)。

 ベースボールは、英国のラウンダースやクリケットから幾多の米国の指導者や選手によって、ベースボールやソフトボールに似た球技が創造され変遷されてきたのです。

 【ソフトボールの原型誕生】

 ソフトボールの原型は昨日書いた「タウンボール」です。規則は、①1・2塁間、2・3塁間、3・本塁間はいずれも60フィート。②投手の投球は下手投げが義務づけられている。③走者は、1・2・3・本塁の順で走る。④走者は、走塁中にボールを当てられるとアウトになる。(当時の加工技術は、今日ほど進歩していなかったので、ボールは大きく、柔らかかった)

 この種の球技は時代の欲求と共に、二手に分かれて行きました。1つはボールの加工技術の向上とともに、ボールを硬く、小さくして、危険度を増す、今日のベースボールへと。他の1つは、今まで通り、ボールを大きく、柔らかく、手軽で、危険度の少ない今日の数種類のソフトボールへと。

 【ベースボールの原型誕生】

 ベースボールの原型は「ニューヨークゲーム」です。これは「ファイブコーナーズ」を受け継いだものです。この球技は、1840年頃タウンボールからボールを少し小さく、硬くすることによって、球足を速く、強くして、球技の進行をスピード化したものです。その規則は、①打撃席と1塁の間は、48フィート。②1塁と2塁の間は、60フィート。③2・3塁と3・本塁間は72フィート。この球技で使用したボールが大きく、柔らかかったため、打球がさほど早くなく、野手の守備位置も浅いものでした。

 1845年には、「近代ベースボールの父」と呼ばれるアレキサンダー・J・カートライトが「フォーコーナーズ」を考案しました。これは今日の「ベースボール」により近いものでした。この規則の特徴は、①本塁から2塁までの距離を42歩(ペーシス)、1塁から3塁までの距離も42歩(ペーシス)[解説:このようにして塁間の対角線を歩くと、1・2・3・本間の塁間は、約90フィートになる]。②投手と本塁の距離は46フィート(45フィート)2説ある。③1チームは9名からなる。④ハンズ(イニングのこと)の原則として、両チームは交互に攻撃する。⑤試合は、21点先取したチームが勝ちである。⑥打者に対して送られるボールは、ピッチであって、スローではない[解説:これは下手投げでなければならないという意]。⑦1塁と3塁の範囲の外に出た打球は、不正(ファール)である。⑧走者は、1塁に着くまでにボールが1塁上の敵の選手の中にあるか、あるいは、途中タッチされた時アウトになる。⑨選手は順番に打つ。⑩試合は、審判によって裁定され、選手の抗議権はない。⑪3人アウトになると攻守は後退される。以上です。

 この規則が発表されて、プレイが始まると、ベースボールはますますあらゆる点でスピードが要求され、危険度が増し、プレイする人が専門化して行ったのです。

 以上のように、ベースボールはその後、より競技性を増し、Aリーグ、AAリーグ、AAAリーグ、メジャーリーグといったプロベースボール球団が各地で誕生して行くのです。一方、ソフトボールは、「いつでも、どこでも、誰でも、手軽に行えるベースボール型球技」として、米国市民の間に広く浸透して行ったのでした。

 この論文の中で、「結論」として私は「レクリエーション(再創造)球技の本質は、与えられた指導者と競技者との間で、与えられた施設と用具を利用して、いかに有効にそして楽しく規則を創造していくかにあると考える。特に、指導者は、既成の規則や概念に固執することなく、柔軟な姿勢で、臨機応変に物事を処理して行くべきである。このように考えると、1900年前後の米国産業革命期にレクリエーションされた球技は、今日、我々体育・レクリエーション指導者や研究者に大きな示唆を与えてくれるような気がしてならないのである。

 日本は、すでに他国からの球技を移入したり、模倣したりする時代は終わったと思えるのである。これからは日本独自の風土や環境にあった日本人が真に欲する球技をレクリエーション(再創造)していかなければならないエポックにあると言っても過言ではないのである。」としました。

 尚、この論文は、米国で出版された17冊のいわゆる野球・スポーツの歴史関係の「洋書」と百科事典、更には日本で出版されたアメリカスポーツ史(山中良正:逍遥書院)等を参考にして書いたものです。

 このような考えを、1977年以前(50年ほど前)から持っていたので、その後、今日でいう「ベースボール型球技」を学校教育に入れるために、「日本式14インチスローピッチのソフトボール」の考案・紹介・普及。「日本発ミニソフトボール」や「日本式ティーボール」の考案・紹介・普及活動等を行うことになるのでした。

文献

吉村正(1977)レクリエーション(再創造)球技における一考察:ベースボールとソフトボールを中心として、早稲田大学体育研究紀要(9)、P1-12.