11月17日 研究と実践(その5) 1979年滝口宏体育局長の「推薦の言葉」。1981年「日本ティーボール協会」の前身である「大学スローピッチソフトボール研究会」を創設

 1977年3月に、米国におけるベースボールとソフトボールの歴史や本質について、早稲田大学体育研究紀要に発表した翌月4月から、何と「ソフトボールの授業」は、小学校と中学校の体育から除外されました。この理由を当時の文部省の担当官に聞くと「ソフトボールの授業は、投手と捕手と打者以外の児童の運動量は十分確保できていない。球技として全員の運動量をしっかり確保できるのは、サッカー、バスケットボールである」と言うものでした。以前もここで書いたが、私はソフトボールの試合を行うと上記の指摘は確かに理解できるが、授業の中で、二人一組のキャッチボール、全員で走るベースランニング、3・4ヶ所に分かれてフリーバッティング等を採用すれば、全児童が常に活動できるソフトボールが存在するという思いが強くありました。

 この期に、学校体育に導入されたサッカーとバスケットボールは、ソフトボールに代わって、小学校・中学校では、完全な中心教材となっていったのは皆さんもご存じの通りです。

 当時、ソフトボールが学校教育から外れたことについて、ソフトボールや野球団体で、問題視する連盟・協会は、ほとんど皆無でした。しかし、私はアメリカのソフトボール施設が学校や地域を問わずあちこちに設置されたことによって競技人口が劇的に増加させたのを「写真で見るソフトボール」ですでに紹介していたものですから、小学校・中学校の競技者が、10年後、20年後、野球界とソフトボール界の競技者が激減すると直感的に理解しました。

 私が「野球とソフトボールの危機が将来来るぞ!」と言ってもその言葉を信じる野球・ソフトボール関係者はほとんどいませんでした。

 そこで、投手と捕手と打者だけで試合をすることのない「スローピッチのソフトボール」を、世に広めようと思い、1981年秋、東京大学・東京理科大学・早稲田大学が中心となって「大学スローピッチソフトボール研究会」(吉村正会長)を発足させたのです。これは、投手が打者に対して、下手投げで、ゆっくりしたボールを投げる、打者はそれを打つというもの。そうすれば打者は初球からどんどん打ち、打球は内外野に頻繁に飛び、選手全員が均等に運動量を確保でき、楽しめるソフトボールにとなると信じたからです。この3大学による研究会の活動が、今日の「日本式ティーボール」の研究と実践のスタート、更には「日本ティーボール協会」設立のきっかけとなるのでした。

 ソフトボールの授業が小学校・中学校から外れてからの2年後、1979年6月、新体育講座コーチ学(ソフトボール編)を逍遥書院から出版しました。ソフトボールの専門書としては、私にとっては6冊目。これは305ページの力作で、読者対象は学校の先生、研究者、地域の指導者でした。学術書であったのでこの本の推薦者には私が尊敬するあの面接で「『本』を書いてください」とアドバイスを下さった当時早稲田大学体育局長であり著名な考古学者・民俗学者である滝口宏先生(当時早稲田実業高校校長)にお願いしました。以下にその内容を紹介します。

 「推薦の言葉」 本書の著者は、幼年時すでに球を投げ、球を打つ遊びに強く興味を持ち没入したという。それが高じて少年期・青年期を通じて著者の習性のようになり、遊戯から技術の体得に進み、ついに研究にまで打ち込むことになった。  (中略)  硬式・軟式の試合はプロ・アマを問わず全国に数えられない程のチームをつくっており、プロ野球はその繁栄を誇っている。そして一方、同じように時代の要望を負いながらルールづけられたソフトボールもその特徴を生かしつつ各民族でそれを己のスポーツに取り込んでいる。

 そこで筆者が言うように、日本での運動体育ではすでに他民族の中で成立したものを取り入れて成功しているのであるから、これからは「日本独自の風土や環境に合った日本人が真に欲する」ものをつくりあげてゆかねばならないであろう。かつて柔術を嘉納治五郎が理論と実践において改革し、それを世界にひろげたように、いま日本によるソフトボールが著者の今後に大きく期待しているのではないか、とさえ私は思っている。と。

 信じられないような「推薦の言葉」を滝口宏先生から頂きました。「33歳の私があの嘉納治五郎先生と」といった印象でした。これは「命を懸けて研究と実践を始めねば」と思った時でもありました。それからというものは「ソフトボール」を競技スポーツとレクリエーション(生涯)スポーツとに分け、前者は「オリンピックに導入するための活動」、後者は「いつでも、どこでも、誰でも、手軽に、楽しくプレーできるソフトボールの創造」に全力投球したのです。

 「日本ティーボール協会」の前身となる「大学スローピッチソフトボール研究会」をスタートさせたのは、この滝口宏先生からの「推薦の言葉」から決断したのは疑いのないことでした。その研究会が中心となって、12年かけて「スローピッチソフトボール」を「日本式ティーボール」にレクリエーション(再創造)したのです。