11月18日 研究と実践(その6)1981年「大学スローピッチソフトボール研究会」(東大・理科大・早大中心)の発展。「日本ティーボール協会」へ

 NPO法人日本ティーボール協会の前身である「大学スローピッチソフトボール研究会」を立ち上げたのが、1981年5月。 会長吉村正(36歳)、副会長丸山克俊(31歳)、幹事長可部明克(22歳)。会員は全て東京大学、東京理科大学、早稲田大学のソフトボール部の学生諸君。若い未熟なメンバーによる研究会の門出でした。

 創設した2か月後の1981年7月、「14インチ・スローピッチ・ソフトボール」の行い方とそのファーストピッチとスローピッチのルールの紹介とプレーの仕方を「体育施設出版」より発表。そしてそのルールに則って、同年11月23日、早稲田大学東伏見軟式野球場において「第1回大学14インチスローピッチソフトボール大会」を開催したのでした。尚、この大会の報告は、幹事長の東大工学部産業機械工学科4年生であった可部明克君が1982年2月号発行「ソフトボールマガジン」(ベースボール・マガジン社発行)において紹介した。この内容については、今年の6月22日「理事長からのメッセージ」を参照ください。

 この大会をきっかけに、毎年シーズンオフの11月には、東京大学、東京理科大学、早稲田大学の3校ファーストピッチソフトボール対抗戦を開始し、その間に必ずスローピッチの大会も開催することにしたのです。第2回大会は、上記の3大学に加え、男子で立教大学、女子では実践女子大と山脇短大が加わりました。その報告を1983年2月「ソフトボールマガジン」で発表したのが、早稲田大学文学部3年の深田雅一君。写真・グラビアでは現在日本ティーボール協会評議員の醍醐象器氏や内田圭史氏の顔も見られます。

 また、その同誌2月号には、巻頭「特別企画」として、私は「アメリカのスローピッチの現状」と題しルールやその意義につて紹介しました。その内容の小見出しを拾うと、①捕手は投球をワンバウンドで捕れ、②打者が後ろ足(捕手に近い足)を踏み出すとアウト、③球審は捕手の横後方からジャッジせよ、④走者のスライディングは禁止される、⑤二塁及び三塁ベースの駆け抜けは合法である、⑥スローピッチでも投手は速球を投げられる、⑦打者がバットを投げるとアウト、とあります。如何ですか。今日の「日本式ティーボールのルール」は、この約40年前の1983年2月、アメリカのスローピッチを紹介した時のルールを参考にしているのが、お分かり頂けたと思います。

 「第3回大学14インチスローピッチソフトボール大会」は、今までの大学に加え、明治大学、東京学芸大学、日本女子大学、埼玉大学連合、国士舘大学と増え、大きな大会へと発展して行きました。また、この大会の報告は、東京大学経済学部の田中照久君にお願いしました。その内容は、12ページの及ぶ力作でした。以下第5章の一部のみ紹介します。 

 第5章、まとめ・結論のところでは、このスローピッチのソフトボールは、①安全で、②場所を取らず、③短時間、④技術差に関係なくゲームを行うことができる。そして、結論として、大衆スポーツとして最適である。と纏めてくれました。1984年3月号「ソフトボールマガジン」に掲載されています。また、グラビアでは、設立当初日本協会国際委員を務めてくれましたマット・リフキン(元ゴールドマン・サックス副社長)氏やスコット・ダグラス(早稲田大学教授)氏の顔も見えます。

 1985年と1986年は、私がハワイ大学の客員教授として日本を留守にしていた間は、東京理科大の丸山克俊先生にこの研究会の活動はお任せしました。そして、帰国しての1986年11月、「第6回大学スローピッチ大会」からは「吉村杯争奪」となり、大学では慶応大学が加わり、更に、社会人でもスローピッチに興味のあるチームが出場しました。それは、東京都の「青色申告会」ソフトボールチームと岐阜県可児市から「犬山プライベート」ソフトボールチームでした。

 この第6回大会の内容と意義について「ソフトボールマガジン」1987年3月号で報告したのは、東京大学経済学部3年の杉山貴司君でした。第4章まとめでは、「14インチスローピッチソフトボールでは、若い人も、年を取った人も、男性も女性も、初めての人も、熟達した人も、また、忙しくて時間の取れない人や、広いグラウンドが身近に無い人も、皆が楽しむことができます。もう一つ感じたことは、頭を使える余地が大変広い、奥の深いスポーツだということです」と。

 同誌には、「読者の広場」に、あの吉田勝光評議員(元理事・現横浜桐蔭大学名誉教授)が「犬山プライベート」代表の立場で投稿して下さったのです。「1回戦は、東大チームとの試合、そこでは『東大で最も怖い(嫌な)打者は,侘美先生』。先生は第1打席で長打狙いはされず、コンパクトなバッティングでライト前にクリーンヒット(東大で初ヒット)を打たれました」と記しておられます。懐かしいです。因みに侘美先生は、あの「ブラックマンデー」の解説等で新聞やテレビで有名な先生でした。東大の教授、ソフトボール部部長もこの「スローピッチソフトボール」なら楽しくプレーできるのでした。

 ちょっと、この「大学スローピッチソフトボール研究会」から話がそれますが、この吉田勝光先生の投稿ページの次の記事は、なんとなんと、頼住道夫(当時の厚木選抜チーム監督。睦合中)先生の記事です。

 そこには、「寄稿」中国・揚州市へスポーツを通し友好の輪 厚木市中学生友好都市スポーツ交流 国際理解教育の一環として、友好都市である中国揚州市へ、厚木市内中学生女子ソフトボールチームが派遣され、国際理解を深めるとともにスポーツを通して友好の輪を広げた。頼住監督と中学生たちの感想文をここに掲載する。(興味のある方は、1987年3月号ソフトボールマガジンをお読みになるか、頼住道夫専務理事兼事務局長にご連絡ください)。 先ずは、情報提供です。

 この後も、毎年このように大学スローピッチソフトボール大会を開催し、「いつでも、どこでも、誰しもが、楽しめる野球型スポーツ」の研究と実践を、進めて行ったのです。

 また、この「大学スローピッチソフトボール研究会」は、東京周辺の大学にとどまらず、関西にも2年に1度交互に遠征し合い、京都大学、同志社大学、立命大学、関西大学、龍谷大学等にも、この「研究会」に加わって頂き、その「輪」を広げて行きました。