11月19日「大学スローピッチソフトボール研究会」の汗と努力。「ソフトボール」を平成4年4月から小学校5・6年生で選択必修へ戻す

 第8回大学14インチスローピッチ大会は、早稲田大学東伏見軟式野球場において開催されました。この大会では、中京地区から新たに中京女子短期大学が加わり、また、初の男女混合チームも、それぞれの参加大学が編成して、その対抗戦も行いました。その内容は、早稲田大学女子部の中野恵子さんと小林直美さんが「ソフトボール・マガジン」1989年2月号にて、男女間のルールの問題、危険度の問題等、参加者からの感想文を参考にして報告しました。

 この大会で印象に残るのは、個人賞を獲得した選手たちの名前です。最高殊勲選手スコットダグラス、最優秀選手吉田勝光、敢闘賞マットリフキン、最多本塁打はスコットダグラス2本、首位打者は吉村正800でした。また、グラビアの5ページには、投手のスコット先生、打者の吉村と吉田先生、東大チームのエースとして活躍した侘美先生、集合写真の中には、今日本協会評議員掛山正心人間科学部教授の学生時代の雄姿も掲載されています。これらの先生方は、日本ティーボール協会を創設した時、多大なる協力を頂きました。

 加えてこの2月号では、「新春特別寄稿」として、金沢市立栗崎小の内田圭志先生(現日本協会評議員)の「小学生のソフトボール指導法」が掲載されています。そこのまえがきを紹介すると、「小学校の学習指導要領の中の、特別活動の章に、毎週1単位時間、クラブ活動の時間を設けることが示されている。クラブ活動とは、4年生以上の児童が、自分の興味、関心のある体育的・文化的クラブに属し、毎週1回、学年や学級の枠を超えて集まり、その興味・関心を追求する活動である。そこで、今回、私がこのクラブ活動の時間を通して、子ども達に指導しているレクリエーション的なソフトボールを、ここに紹介する。」として、4ページに渡り詳述されているのです。

 ソフトボールが小学校の授業から外されたので、このように小学校では「特別活動」のの授業として、ソフトボールを細々と指導しておられたのでした。内田先生は、2009年、「笑顔いっぱいティーボール」の教材を作る会の重要なメンバーの一人でもありました。

 1989年の第9回大会では、日本で初めてのボールの周囲が「16インチ球を使用」してのスローピッチの大会を開催しました。加えて、この大会では、「投手は攻撃側から出す」というルールも採用したのです。16インチスローピッチを、1976年「写真で見るソフトボール」(成美堂出版)にて紹介して以来、13年目にしての初めての試合、試みでありました。グラビアでの解説・見出しは、「これが究極のレクリエーション・ソフト! “日本初”16インチ球を導入 限られた広さで、より多くの人が、楽しく、醍醐味を味わい、大量の汗を流す・・・」でした。

 この年の2年前に、「スポーツ・レクリエーション祭」がスタートし、バレーボール界は、小学生やお年寄りにもバレーボールの醍醐味を安全にプレーしてもらおうと考え、ソフトバレーボールを開発したのです。さてそこで、野球やソフトボール界では如何かということになり、当時TBSテレビの「ワイワイスポーツ塾」が取材に来たのでした。ただ私は質問者に、この16インチの魅力を丁寧に説明したものの、手の小さい人には、この球技は、アメリカほどの人気は出ないだろうという考えも、他方では持っていました。しかし、トライすることの大切さ、更に、今まで14インチのソフトボールが日本人には大き過ぎるという固定観念を持っていた人たちに、アメリカでは、16インチのこんな大きなソフトボールで多くの野球好きの人たちがプレーしているのだ(14インチのソフトボールは世界的に見れば、決して大きいというほどのボールでない)と知らしめたかったのです。

 1990年には、第10回記念14インチスローピッチ大会が早稲田大学の東伏見で開催されました。そこで活躍したのが、女子部では、アメリカからの留学生フジカワクリスティーさん、男子部ではスコットダグラス君、そして中京女子短大の水谷先生と掛山君(現早稲田大学教授)。この方たちは、巻頭グラビアで紹介されています。大会報告については、早稲田大学女子部の研究会副幹事長の永田博子さんと竹内恭子さんが纏めました。

 その内容を小見出しで拾うと、①1971年14インチボール日本上陸、②日本にこそスローピッチを!、③成長するスローピッチ、④百聞は一見にしかず、⑤こんなルールで大会は行われた、⑥スローピッチはファーストピッチとこんなに違う~男子ブロックの分析~、⑦経験の差を超えて楽しめる!それがスローピッチだ!!~女子ブロックの分析~、⑧これからのスローピッチ、とあります。この分析を指導したのは、吉村、丸山のコンビでした。

 また、この時期に丸山克俊副会長は、「レクリエーションとしてのソフトボール」を同誌で連載。一方、私は、競技ソフトボールの分野で、このソフトボールをオリンピックに導入するために「現代ソフトボールの戦法」①―内野手編・外野手編―、②投手・捕手編―、③―打者・走者編―、④―日米比較編―を書き終え、更に⑤―戦術編―の第1回目の連載をスタートさせた時でもありました。

 以上、雑駁ですが、10年間の成果を、「ソフトボール・マガジン」を通して、世に発表して行きました。しかし、早稲田大学で5コマの「ソフトボール」の授業を担当していると日本全国で野球やソフトボールの競技人口が確実に減少していること、加えて、スローピッチの授業でも、投手がストライクを投げられないこと等が、肌で感じ始めていたのです。

 また、ソフトボール授業の履修者のレポートの内容からも履修者の幼少期にソフトボールをプレーしていないことが分かって来たのです。履修者の技能レベルが低いことでも実感出来るのでした。

 そこで、1992年の「ソフトボール・マガジン」1月号において、「新春特別企画・短期集中連載 平成4年度から小学生選択必修、指導者必読!!」 「小学生にどう教えるか!!」を書くことにしたのです。それは、その4月からソフトボールが小学校の選択必修として戻ることになった事実を踏まえ、決断したのでした。野球とソフトボールの底辺拡大に確実に役立つとの判断もありました。

 そのまえがきは、「平成4年4月から、小学校5・6年生に対して、「ソフトボール」が「ボール運動」のところで、選択必修となる。そのため、今、小学校、あるいはソフトボール関係者の間で、小学生にソフトボールをどのように指導するか、盛んに議論されている。ここでは、小学生に限らず、ソフトボールの初心者には、ソフトボールをどのように指導しなければならないかを提案したい」と記しました。

 10年間に亘る「大学スローピッチソフトボール研究会」の会員の汗と努力が一つの成果となって、この平成4年4月から「ソフトボール」が、小学校5・6年生の間で、選択必修として戻るところまで漕ぎ着けたのでした。