12月29日 本日「嶌 ティーボール魂」がTBSラジオ、夜9時30分~10時まで放送されます。次回(再放送?)は、来年1月3日10時~10時30分(正月特番)です。

 本日の朝日新聞朝刊の10面に、今日(12月29日)の番組TBSラジオ21:30-「嶌 ティーボール魂」とあります。この「嶌」とは嶌信彦氏のことで、「ティーボール魂」とは私のことを言っているのでしょうか。とにかくこのラジオ番組に、私が出演する予定になっています。嶌氏とアシスタントの安田佑子氏より、私自身のこと、更にはティーボールについて質問があり、それにお答えするという番組です。

 提供は、西武ホールディングスと西武グループ。

 番組の内容は、「ニッポンの素晴らしくも感動的に生きる人の声を伝えよう。これが、この番組のコンセプトです」というものです。

 これまでの出演者は、「松本零士(漫画家)、西川きよし(タレント)、趙治勲(囲碁棋士)佐藤愛子(小説家)、奈良岡朋子(女優)、五木寛之(作家)等です」と、これまでの多くの著名人が出演されている番組です。

 出演前には、「これまでに、『微笑んだ』、『つい微笑んだ』、『思わず微笑んだ』、こんな思い出があったら教えてください」という連絡がありました。

 更には、【吉村正さんの構成案】が送られてきて、そこには、

🔷ティーボールについて。

🔷ティーボール協会について。

🔷早大の教員に就いた75年からティーボールの研究を始めた。

🔷人となり。「正親小学校、二条中学校、平安高校、近畿予備校、早稲田大学教育学部、ハワイ留学(ホノルル・ビジネス・カレッジ)、日本大学大学院、ハワイ大学客員教授、東京医大に10年在籍といった学歴。更には、球歴では、早大ソフトボール同好会創設、インカレスタート、ハワイでの打点王、本塁打王、最優秀選手、誠実賞(ジョージアリヨシ賞)、アメリカオールスターの一員として帰国、日本代表チームとの試合で6割を打つ。その後指導者、研究者へ。そして、50冊を超える著書、多くの論文と評論、総説等もある」と紹介。

🔷これからやってみたいことや夢

🔷ほほえみのエピソード

このような流れで質問を受けました。ぜひお時間があれば、拝聴していただければ幸いです。

でもその時間帯、物凄い怪物のような番組が二つあります。

一つは、NHKテレビの9時~10時に、NHKスペシャル「大谷翔平がすべてを語る」。私はこれを観たい。

二つは、テレビ朝日の8時56分~10時30分に、有働TIMES:スペシャル対談 王貞治&有働由美子。これは絶対見なければ。

昨日の日刊スポーツ21面、この対談の予告記事が出ていました。そこには、「(前略)話題は、『BEYOND OH! PROJECT』へ、“王貞治、大谷翔平を超える世界的ヒーローを生み出そう”というテーマで野球の発展を目指すという」もの。

特別観たい理由とは、この半年の間、私自身もこのプロジェクト(球心会)に参加し、意見交換する多くの機会を頂いてきたからです。

このためにテレビを録画するための機械を先日電気店で買いました。今朝も1年以上使用していないラジオを点検して、TBS(AM954)にセットして事務所へ来ました。

同時間帯のテレビ、二つとも観るぞー、そしてラジオも聞くぞー、今日の夜は楽しみがいっぱいです。

テレビもラジオも壊れるなよー。

(下記はラジオ番組原案です)

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【TBSラジオ(志の人たち:話題提供)】

番組名:嶌信彦 人生百景「志の人たち」 

9月30日最終チェック済み  吉村正

  • 私は早稲田精神の塊?(早稲田5代・母の父・父・私・娘。そして兄の孫)

【進取の精神、反骨の精神、情熱、誇り、誠実を大切にしています】

  • 正親小学校5年生の時、自宅横の西陣警察署グラウンドで見たアメリカ人MP(ミリタリーポリス)のピッチングに圧倒される(ソフトボールの魅力を理解する)。
  • 小学校5年生の時から、町内会のソフトボールチームで投手で4番。
  • 二条中学校では、野球部に入り投手で4番。町内のソフトボールチームでも投手で4番。
  • 平安高校では、硬式野球部に所属。衣笠祥雄国民栄誉賞の1年先輩。1・2年生では甲子園スタンドで先輩を応援、3年生では春、夏とも京都予選で敗退。甲子園には行けず。
  • 近畿予備校を経て、早稲田大学教育学部教育学科体育学専修に入学。

【早稲田大学なのに何で体育学?そんな学問ってあるの?】そこで反発。

  • 1965年4月入学と同時に、早稲田大学ソフトボール同好会を創設。7月から主将兼投手兼5番打者。10月には全学連と組み「学内対抗ソフトボール大会」を開催。約150チーム参加。同好会が優勝。(同好会は早稲田大学の代表と私は勝手に決めつける)

【同好会創設からから今日まで、平安高校の野球部部員だった君が、何で女子がやるソフトボールするの?】ここで反発。ソフトボールは素晴らしいと言い続けました。今日においても。

  • 1966年、日本体育大学、学習院大学等と一緒になって「全日本大学ソフトボール連盟」を創設。11月には「第1回大学ソフトボール選手権大会」をスタートさせる。早稲田は第3位。
  • 1968年8月、京都明徳商業高校(教育実習校)のコーチ(1966年から1968年までの3年間)として、ハワイへ親善試合に。

【同好会では3年半、主将兼投手兼主軸打者】

10.1969年5月、ハワイへ留学(ホノルルビジネスカレッジ等)。英語と経営学の勉強に加え、夜と日曜日は、野球とソフトボールの招待選手として、2年半の留学中に320試合に出場する。2年連続オールスターに選出される。打点王、本塁打王、最優秀選手、誠実賞(ジョージ・アリヨシ賞:当時ハワイ州副知事、後の知事)等を受賞。

(1ドル360円のとき)。

11.アメリカソフトボールオールスターの選手兼通訳として帰国。日本の代表チームとの6試合で通算6割を打つ。

【1973年4月、日本大学文理学部文学研究科体育学専攻修士課程に入学(野球とソフトボールと体育科教育学の研究と実践)を開始する】

1.1975年4月、早稲田大学体育局助手として就職。専門は「ベースボール型球技(国民皆ベース・ボール)の研究・実践」と「健康教育学」。

2.1976年8月、「写真で見るソフトボール」(吉村正著)成美堂出版(超ベストセラーとなる)。

【ここから2005年に出版した「ソフトボールの変化球バイブル」(吉村正著)ベースボールマガジン社(これもベストセラー)の30年間に約50数冊のソフトボールや野球やティーボールの書籍を出版】

3.1977年4月より、学校体育の授業から「ソフトボール」が消えた。

【ここから私の挑戦が始まります。(なぜ国民スポーツのソフトボールを学校体育から外すのか? 10年・20年先野球・ソフトボール衰退期が始まる予感)】

4.1981年秋、「大学スローピッチソフトボール研究会(吉村正会長)」発足。東大、理科大、早稲田、京大、同志社、立命、関大が参加。

「いつでも、どこでも、誰でも、笑顔で、楽しくできるソフトボール(現在の日本式ティーボール)」の研究と実践に入る。

5.1993年3月、「ソフトボール・マガジン」(ベースボールマガジン社)において、指導者のためのソフトボール講習会―セット・トス・ミニピッチ・ソフトボールの普及のためにー(吉村正執筆)という評論を投稿。

※セットソフトボールとは、ティー台の上にソフトボールを置いて打つゲーム(現在のティーボール)とホームプレート上にボールを置いてそれを蹴るキックソフトボール。

※トスソフトボールとは、片手でボールをトスして、反対の手で打つハンドソフトボール、ラケットで打つラケットソフトボール。

※ミニピッチソフトボールとは、投捕間を狭くして、投手が山なりのボールを投げそれを打つスローピッチソフトボール。

【この中の「セットソフトボール」を、8か月後に行った「日本ティーボール協会発足記者発表会」において、「(日本式)ティーボール」として紹介したのです】

6.1993年11月、「日本ティーボール協会(海部俊樹会長・筆頭副会長吉村正)発足

7.1998年11月、学習指導要領改訂により、小学校・中学校の現場でベースボール型ゲームが行えるようなる。「ゲームの例」手やラケット、バットなどで打ったり、止まっているボールを打ったりするゲームと記述されました。

【いわば奇跡を起こしたのでした】

その10年後、

8.2008年8月、小学校学習指導要領解説体育編3・4年生でのティーボールに加え、5・6年生においてもベースボール型の中で【例示】ティーボールと明記されたのでした。

【2016年3月早稲田大学退職・私はソフトボール部では4年間監督。その後現在も総監督。NPO法人日本ティーボール協会では理事長として今尚現役です】

9.2017年3月、再び小学校学習指導要領解説体育編3・4年生でのティーボールに加え、5・6年生においてもベースボール型の中で【例示】ティーボールと明記されたのでした。

10.そして昨年(2023年)、NPO法人日本ティーボール協会が30周年を迎えたのでした。

【一方アジアや世界では?】

1.1997年8月、国際ティーボール連盟(ジョージブッシュ・海部俊樹共同名誉会長)創設。

2.2009年1月、アジアティーボール連盟創設(吉村正初代会長)

3.2024年8月第15回記念アジアオープンティーボール国際大会を徳島阿南市において開催(中国、モンゴル、タイ、ベトナム、日本、香港、マカオが参加。韓国は不参加)

現在に至る。

【ソフトボールの普及活動は?】

1.【早稲田大学において41年間ソフトボールの授業を担当(履修者は20,000人を超える)。また、日本体育大学においても、非常勤講師として、野球・ソフトボール研究室で「ベースボール型授業」を10年間行う】

2.1976年早稲田大学女子ソフトボール同好会創設(会長兼監督)。

3.1989年早稲田大学ソフトボール同好会を体育局の「部」に昇格させる。

【この間同好会としてその存続と発展に心血を注ぎました】

【その時から今日までの47年間、男女の監督か総監督を務めました】

1.1982年3月、早稲田大学ソフトボール同好会第1回米国(ハワイ)遠征団長兼監督

2.1990年2月、「部」昇格記念米国(ハワイ)遠征監督:小山部長が団長)

3.1992年2月(ハワイ遠征監督)

4.1994年2月(ハワイ遠征団長兼監督)

5.1996年2月(ハワイ遠征団長兼監督・ワールドシリーズ予選会に出場・優勝)

6.1996年8月、ワールドシリーズ(カンザス遠征団長兼監督・ベスト24)

7.1998年2月、ワールドシリーズハワイ予選に出場(団長兼監督ベスト8)

8.2000年2月、ワールドシリーズハワイ予選に出場(団長兼監督・準優勝)

8.2000年8月、ワールドシリーズノースダコタ遠征団長兼監督・ベスト18)

9.2002年2月、ワールドシリーズハワイ予選に出場(団長兼監督・優勝)

10.2002年8月、ワールドシリーズ(オレゴン遠征団長兼監督)AAAの部・ベスト5

11.2004年2月、ワールドシリーズハワイ予選に出場(団長兼監督・ベスト4)

12.2005年8月、ワールドシリーズ(ミネソタ遠征団長兼監督)AAの部、優勝並びにスポーツマンシップ賞受賞【この受賞が大学教授として嬉しかったのです】

13.2006年2月、ワールドシリーズ第27回ハワイ予選に出場(団長兼監督)

14.2010年8月、ワールドシリーズ(デモイン遠征団長兼監督)U-23の部優勝

15.2014年7月、ワールドシリーズ(ノースダコタ・U-23準優勝)

【吉村正殿堂入り記念米国遠征団長兼監督】

1.2009年3月、早稲田大学女子部第1回米国(ハワイ)遠征

2.2012年3月、第2回米国(ハワイ)遠征

3.2015年3月、」第3回米国(ハワイ)遠征

アメリカ遠征は、団長兼監督として計19回実施(2004年以降は、スコットダグラス教授・ソフトボール部部長が共同団長)

【その他、ブラジルソフトボールナショナルチーム指導、中国、韓国等でも指導を行う】

【1985年3月から1986年3月まで、ハワイ大学客員教授(HPER:健康・体育・レクリエーション)の研究。並びに野球部、ソフトボール部の臨時コーチも務めた】

【1989年10月から1998年9月まで10年間東京医科大学医学部衛生学公衆衛生学専攻生】

【「ソフトボールマガジン」ベースボールマガジン社発行において25年間絶えることなく連載】

その主だったもの。

1.灼熱の太陽のもとで楽しむハワイのソフトボール(1980年3月から連載開始、2005年まで)

2.中級者のためのソフトボール(1980年7月から1986年8月まで連載)

3.アメリカのソフトボール情報(1982年2月から1988年5月まで連載)

4.アメリカソフトボールの技法日米比較論(1986年9月~1988年9月まで連載)

5.効果的なソフトボールコーチ法:監訳(1988年8月から1989年9月まで連載)

6.現代ソフトボールの戦法 第1回 監督(1990年5月から1993年5月まで連載)

7.アトランタオリンピックに向けて 吉村正の目(1992年8月から1995年6月まで連載)

【女子ソフトボールをアトランタオリンピックの正式種目に入れたので、次は男子ソフトボールの普及に努めました。同年(1996年)私はアトランタオリンピックには行かず、早稲田大学男子ソフトボール部を上記のようにカンザスで開催された男子のワールドシリーズに連れて行きました】 反骨精神そのもの

【10年後、20年後の野球・ソフトボールの危機を感じて】

  • ソフトボールの“原点”ティーボールー日本ティーボール協会発足―(1994年2月から2004年2月まで連載)
  • ソフトボール元年―今なぜソフティーボールとソフトボールなのかー1995年6月から1997年7月まで連載―
  • 吉村式驚異のピッチング上達法「ウインドミル」短期習得編―(1998年3月から2001年12月まで連載)

【1989年8月、この「ソフトボールマガジン」で次のような記事を書きました。「―小学校を応援しよう、ティーボールを広く普及させるためにー1.小学校の先生方に「ティーボール」が小学校の正課体育に採用されたことを説明して頂けませんか。2.地元の小学校にティーボールセットを寄付していただけませんか」】と。

【ソフトボールマガジンでの最終原稿は、2005年11月、「早稲田W優勝」―インカレとワールドシリーズ制すー】でした。

 60歳を機に、8年間勤めた早稲田大学人間科学部人間健康科学科(主任4年)と健康福祉科学科(主任4年)(主任とは学科長のこと)を、辞めさせてもらい、学部長にと推薦されたが、それも辞退して、グラウンドにおりて監督に就任。

【それは、論文の執筆や海外での普及活動には頑張ったのですが、母校のインカレでの優勝が2005年のものだけだったので、それが悔しくて再び、三度グラウンドに立ったのでした】

1.2005年 第40回全日本大学ソフトボール選手権大会(男子9優勝 ワールドシリーズ(AAの部)優勝とスポーツマンシップ賞受賞

2.2006年 第41回全日本大学ソフトボール選手権大会(女子)優勝

3.2012年 第46回全日本大学ソフトボール選手権大会(男子)優勝:5試合中3試合コールド勝、決勝戦もコールド勝

【2011年大嶋匠を北海道日本ハムファイターズへ推薦】

  • 2013年 第47回全日本大学ソフトボール選手権大会(男子)優勝:5試合中3試合コールド勝、決勝戦もコールド勝

【2013年、吉村正NAFA(北米ファーストピッチ・ソフトボール協会)殿堂入り】

5.2014年 第49回全日本大学ソフトボール選手権大会(男子)優勝:5試合中3試合コールド勝、決勝戦もコールド勝(3連覇達成) 

ワールドシリーズ(U-23の部)も準優勝

6.東日本大学選手権大会は、2009年から2013年まで5連覇でした。

7.2016年3月早稲田大学を退職

 【2002年9月から2006年9月まで早稲田大学評議員・2010年9月から2014年9月まで再び早稲田大学評議員を務める】

                                    以上

※早稲田、早稲田と書きましたが、私の父方の父(祖父)は慶応大学理財科第1回卒業生小沢市三郎(後の久保市三郎)です。卒業時は首席(総代)でした。慶應125年史にその賞状が掲載されています。

因みに、祖父と祖母の仲人は福沢諭吉先生です。インタビュアーの嶌信彦氏が慶應大学OBと知ったものですから、補足しました。

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