3月17日「ソフトボールの変化球。打てないボールを投げる上野さん。誰でも打てるティーボールを宜しく」

 昨日、「投手は、ムーブするボールを投げること。これを言い続けて50年」を書きました。その3日前の朝日新聞の4面に興味深い記事が写真入りで報道されていました。そのタイトルは、「ソフトボールの多彩な変化球、『指先の魔術』がルール変更で進化」です。記事を読んでいくと宇津木妙子さん、上野由岐子さん、高山樹里さん、山根佐由里さんの名前が出てきます。上野さんはまだ現役です。彼女は本当に立派です。桁外れに凄いです。その彼女が今尚、新球種習得に取り組んでいるとのこと、常に前向きです。とても参考になります。

 1992年4月から1995年6月までの3年と2か月の間、「アトランタ五輪に向けて 吉村正の目」をベースボール・マガジン社発行の「ソフトボールマガジン」で連載させていただきました。日本代表チームがオリンピックを決めたので、連載を一旦終え、次に書き続けたのが、編集長からのお願いで「ソフトボールを自由に書く」ことでした。そこでまず書いたのが、「英雄・野茂」 『女・野茂で金メダルだ』」(1995年9月)でした。内容の一部は、「女・野茂さんがいればアトランタで勝てる」でした。その頃上野さんは確かまだ高校生。私はそのころ上野さんの存在は全く知りませんでした。

 ここで、私が、何を言いたいかというと野球やソフトボールは兎に角「投手と捕手」を育てることです。この二人の役割が試合をする上で極めて重要となるのです。今や女子ソフトボール界では上野さんは突出した存在です。彼女に続く若い投手は、今のうちに彼女から多くを学ぶことが大切です。

 私は、60歳になって、大学の管理職も終え、グラウンドに戻りました。70定年までも10年間、インカレ勝ちまくる、全て優勝すると豪語していました。結果は5回しか優勝できませんでした。男子4回、女子1回です。日本一を取るのは難しいです。負けたときでも投手だけはきちんと育てたという自負はあります。中でも、この項でも紹介した日ハム新庄と対戦して3球三振に切って落とした中島はNO.1です。3、4年生の時は試合のほとんどは完封勝利。アメリカのワールドシリーズでも多くの元野球のメジャーリーガーを相手に、完封・完封で世界一になったのです。今、彼は、トヨタのピッチングコーチです。土曜日、日曜日だけの非常勤コーチのようですが、貢献しているようです。

 朝日新聞の記事の最後に、山根佐由里(元トヨタ自動車)さんは、取材に対して、「緩急をつければ、球種の数は倍になるし、上下の変化球は少し左右にも動かせる」。と述べておられる。これは、私が中島にいつも言っていた言葉です。それを実践させるのがいいコーチであり、それをきちんと投げ切ることができるのが、日本のエース。山根さんはそのような素晴らしい投手でした。山根さんが投げた速球、シュート、スライダー、チェンジアップ、ライスボール、ドロップのボールの握りが、写真で示されていました。これは、多くの日本の投手の参考になります。

 ここで、あえて、付け加えるならば、手の中でボールを捻る、滑らす、転がす、抜く、指先の力を加える、逆に力を加えない、更には、投球フォームを変える、体を開く、クロスする、肘を曲げる、腕と大腿筋との接触を強くしたり弱くしたりする、投げる腕の肩をあげる、下げる、少し飛んで投げる、まだまだあります。これらを無数に組み合わせると100も200も多くの変化球が投げられるようになるのです。

 このようにして、指導した女子部の投手は、この5,6年では、日立やホンダ、戸田などの一部リーグで活躍してくれました。

 まだ、こんなことを、ティーボールの普及活動を行う合間にぐちゃぐちゃやっています。この人たちが全国大会や健康福祉の大会、幼児の大会の補助にいつも来てくれているのです。

 私はある時は、ぐちゃぐちゃになるボールを教え、そんなボールは打者には打てません。だからその反対の誰でも打てる「ティーボール」の魅力を知っていたいと思っています。

 将来、打者に打てないボールを投げまくっていた上野さんや山根さんが、子ども達のために、誰もが打てるティーボールの指導に来てくれると最高ですね。上野さん、とにかく今は東京オリンピック頑張ってください。