6月14日 23年8ヵ月振りの「円安」です。外国人は日本に来やすくなり、日本人は海外に出にくくなります。

 円が急落しています。13日の東京外国為替市場で円相場が、一時、1ドル=135円20銭台となりました。1998年10月以来、約23年8ヵ月ぶりの円安水準となったのです。輸入物価がさらに上昇し、食料品や原材料の値上げに繋がると、日本ティーボール協会も少なからず、影響を受けます。それはティーボールやオレンジ11インチ(低反発・別名インドア・ティーボール)等は、台湾から仕入れているためです。

 100円ショップやクリーニング店等では、すでに大きな影響が出ているようです。最近、私はネクタイをしないで協会に来る時が多いです。今日もノーネクタイ。高田馬場に事務所があったときはいつもネクタイをしていました。西武鉄道に乗ったり、人に会ったりするためです。41年間の大学教授時代は、たとえ8月の猛暑でもネクタイをしていました。

 ネクタイしている時は、ワイシャツを頻繁にクリーニング店に出します。この3、4年その回数が激減しました。背広を着る機会も極端に少なくなったため、クリーニング店にはあまり行きません。100円ショップは、ネクタイをしないおかげで、この3、4年は随分お世話になっています。自宅から5、6分のところに「ダイソー」があります。事務所のすぐ近くには、「レモン」があります。いずれも100円ショップです。それらのお店に行くとなんと楽しいことか。「えっ!これで100円?」。ネクタイをしていた時は、文房具の専門店でボールペン、コピー用紙、鉛筆、消しゴム、ファイル、クリアファイル等を買っていましたが、今はまず行かないです。値段がかなり違います。

 さて、23年8ヵ月振りの円安についてですが、23年前の1998年はどんな年だったのでしょうか。

 先ず、ベースボール・マガジン社では、ちょうど現代ソフトボール戦法(内野手・外野手編・304ページ)、(打者・走者編・391ページ)、(投手・捕手編・369ページ)、(日米比較編・397ページ)計1461ページの大作を書き終えて、4冊を単行本にして頂いていた時でした。そして、次のステップとして、ソフトボール・マガジンでは、1998年3月から新たに、「吉村式驚異のピッチング上達法」をスタートさせました。これは、その後約4年間連載しました。一方、同年10月には、医学書院・看護医学8巻第10号で、「『わざ』と『知恵』を伝える、現場の人材育成―スポーツ界のコーチング、『教える人は』どう育つか―」を書きました。

 これ、円安と全く関係ないですね。手前勝手でスミマセン!

 その年の2月、早稲田大学ソフトボール部は、第9回アメリカ遠征でワールドシリーズハワイ予選に出場しました。団長兼監督は私。遠征団は当時円安で、出発まではバイト・バイトで皆、苦労しました。同年日本では、静岡県富士宮市で世界女子ソフトボール選手権大会が開催され、私も責任者の一人としてお手伝いしました。その関係で、日本に来た各国の選手団は、円安のためショッピングに熱心だったのを記憶しています。

 この円安が23年振りに日本にやって来たのです。海外旅行は大変です。海外からの旅行客は喜んでいます。

 その1998年から更に30年も前の1968年に、私は日本の高校女子ソフトボールチームを連れてハワイに行き、その翌年1969年5月から1971年8月迄、ハワイに留学しました。この時は、円は、135円ではなく360円でした。それでも急いでドルを手に入れようとすると、360円では手に入らず、1ドル400円ほどで買わねばならない時でした。当時、ドルを一番沢山持っているのはプロレスラーの力道山さんではないかと、よく冗談半分に言われました。彼は、日本、アメリカ、ハワイを舞台に大活躍されていましたから、ドルでの収入が多かったのです。

 以前もここで書きましたが、早稲田大学の学生時代、昼ごはんに60円から70円のランチを食べている時に、ハワイでの昼ご飯代は約1ドル(360円)。自然とそのランチを抜くことになります。食べないでおきますよね。留学が難しい、生活そのものが苦しい時代でした。ハングリー精神が身に着いたのもこの時です。武士は食わねど高楊枝でした。私は野球とソフトボールをプレーしたお陰で、ゲーム終了後に食事が出ましたので、食い繋ぐことが出来ました。野球とソフトボールのお陰で、無事に留学を終えることが出来たのです。野球とソフトボールにはとても感謝しています。

 4、5年前ですか、大学の同級生が集まりました。その折、S君と卒業以来の再開。S君は卒業後、日本航空のパイロットになって長らく世界を飛び回っていました。卒業後すぐに、アメリカの日本航空パイロット養成所に入ったようです。当時の日本には、そのような訓練所がなかったからです。彼がとても驚いたように、「吉村!お前、1969年!あの時代に留学していたのかー」です。S君、あの1ドル=360円の時代の留学が如何に大変だったか、誰よりも分かってくれます。いい経験が出来た時でした。お世話頂いたコイケマサオ先生初め、ハワイの野球・ソフトボール関係の皆さんには今もって、本当に感謝しています。

 これが「円安」というものです。

 今は、1969年当時と比べれば、全く比較になりません。戦後77年間、如何に、我々の先輩や同年代の仲間、後輩等が継続して、日々努力を重ねたか。それにより、今日の日本があることを、この「円安」の時に、改めて思い返してみなければなりません。そう考えると、少々の原材料の値上げは当分の間、我慢するしかないですね。この円安の問題も早く解決し、以前のような快適な社会に戻ることを願っています。

 ネクタイをしないと100円ショップは行きやすい。クリーニング店は行かなくなる。さて、どの様な日常生活になるのが良いのか? 

 これが私風の「円安」の説明ですが、皆さん!了解ですか? より分かり難くなりましたかね。