6月22日「日本ティーボール協会」の前身、「大学スローピッチ・ソフトボール研究会」(可部明克先生初代幹事長)

 「公認ティーボール規則&日本式ティーボール解説指導教本」の〔まえがき〕20行目に次のように書きました。「いつでも、誰でも、どこでも、楽しくできるベースボール型球技・スローピッチソフトボール」を広く知ってもらおうと思い、1981年7月、東京大学、東京理科大学、早稲田大学のソフトボール部がスクラムを組み、「大学スローピッチ・ソフトボール研究会」(吉村正会長)をスタートさせたのです。と。当時私はこのスローピッチソフトボールを普及することが、野球やソフトボールを救うと思っていたのです。今日は、この「大学スローピッチ・ソフトボール研究会」とは何ぞやについて、少し紹介します。

 この研究会発足7か月後の1982年2月号の「ソフトボールマガジン」に、1981年11月23日早稲田大学東伏見軟式野球場において「第1回大学14インチスローピッチソフトボール大会」が開催されたという記事が掲載されています。参加チームは、東京大学、東京理科大学、東京学芸大学、明治大学、立教大学、そして早稲田大学です。その記事の筆者は、可部明克君。この上記研究会の初代幹事長です。1993年11月22日「日本ティーボール協会」を立ち上げた時、彼は常務理事。その時の常務理事で現在も活躍中の先生は、佐藤専務理事と谷澤副会長のみです。

 原稿を書いた可部君は、当時東京大学工学部産業機械工学科4年生、その見出しのタイトルは「14インチスローピッチソフトボールはソフトボール発展の切り札である」。第1章は大会の持つ意味、第2章は大会内容、第3章は大会詳報、第4章は大会分析、第5章は14インチスローピッチの発展とその意義でした。特に、第4章の大会分析では、3節に分け、第1節は、試合時間と各選手の運動量(試合時間は約40分だが野手の運動量はファストピッチ以上)、第2節は、高打率と試合の決定要因(全体の半数以上が3割以上で打力が勝敗を分ける)、第3節は、スローピッチファストピッチの比較でした。この分析は見事なもの。彼は私に、卒業論文と同じくらい考え、そして分析しました。と言ってきました。凄い学生がいるな!と私は彼が大学2年生の頃から思っていましたが、まさにこの原稿を読んで、その考えに間違いないことに気付かされました。

 因みに、この原稿を、チェックした年は1982年ですが、その場所は、竹内ローリエビル1階、「喫茶室ルノアール」です。お分かりですよね。元の高田馬場日本ティーボール協会事務所の1階。「縁は異なもの味なもの」です。

 さてその可部君、卒業後、三菱電機、そこでオハイオ州立大大学院、MIT,超一流のエリートコースを歩まれ、50歳代で早稲田大学の教授として着任。多くの優秀な学生を彼の研究室から世界に送られました。この間、日本ティーボール協会では、常務理事、忙しい時は理事あるいは評議員としてご活躍してくださったのです。しかし、昨年、丸山先生の後を追うようにして、天国に行かれました。その様なことから、私は今、この日本ティーボール協会の前身である「大学スローピッチ・ソフトボール研究会」について大切なことは書き残さねばならないと思ったのです。

 さてその「大学スローピッチ・ソフトボール研究会」は、その後、第2代幹事長藤原禎一君(卒後厚労省)、第3代幹事長田中照久君(卒後運輸省)、第6代幹事長山田仁君(卒後通産省)、このように歴代の東大ソフトボール部の精鋭らが幹事長を務め、大会を開催し、ルールを吟味検討し、確定させ、そして1993年11月22日の「日本ティーボール協会」を創設することになったのです。上記の幹事長たちは協会設立の時は、皆この協会の研究委員として、名を連ね、それぞれの立場で、協力してくれたのです。彼らは、硬式野球やファーストピッチソフトボールばかりに競技人口が偏ると、その底辺が間違いなく脆弱になることを理解した学生でした。この流れで、現在でも、東大のソフトボール部員がティーボール協会の「役員会」や「全国小学生ティーボール選手権大会」等にボランティアとして、早稲田の国際会議場に、また、西武のメットライフドームに来てくれるのです。感謝・感謝です。体育会の学生、東大は確か運動会というのでしょうか。伝統や物事の筋をきちんと通してくれます。ありがたいです。さすがです。東大の昨年と今年の学生ティーボール委員とはコロナの関係でまだ一度も会えていません。東大のソフトボール部の学生諸君、このティーボールを忘れないでくださいよ。先輩がここまで長く活動し成果を上げてくれたのです。そうです。また、秋から一緒に普及活動を続けましょう。宜しくお願い致します。

 この日本式ティーボールをしっかり普及しないと将来の野球界やファーストピッチソフトボール界の明るい将来はありません。天国に行った「大学スローピッチソフトボール研究会」初代副会長の丸山克俊先生、初代幹事長の可部明克先生も同じ考えでしょう。残された私たちは、二人の先生の意思をしっかり繋ぎましょう。