6月7日「昨日のサッカー。対ブラジル戦を見て、この23年間の野球・ソフトボール・ティーボールのブラジルでの思いを書きます。」

 昨日の日本対ブラジル戦、堪能致しました。FIFAランク・ナンバーワンのブラジルに対して日本は23位。どの様な戦いをするのかとても注目していました。日頃は、サッカーはあまり観ませんが、昨日だけは特別の試合です。日本の善戦が光りました。それにしても、ブラジルの個々の運動能力の高さ、柔軟性、技術力の凄さ、やっぱり世界一でした。

 今日の日刊スポーツのセルジオ越後氏のコメント、これだけ日本がブラジル相手に善戦したというのに、相変わらず辛口です。私は個人的に、セルジオ越後氏の記事はいつも最初に読みます。彼のコメントが好きなのです。ファンと言ってもいいほどです。今日のコメントは、「恵みの雨。守備では、ファールが多すぎ、攻撃では、裏を一本も取れずまともなシュートはあったか」が見出し。面白いです。最後のまとめの一文は、「12月のカタールは、ほとんど雨は降らないんだぞ」ですって。

 ブラジルと野球・ソフトボール・ティーボールについては、いつかは、この欄で紹介しなければと、思っていました。今日はちょうどいい機会です。少しばかり紹介します。ブラジルの野球・ソフトボール協会は、日系移民の皆さんが中心となって、この100年間活動されてきました。「ブラジル野球史(上巻)」等を読めばそれは明らかです。

 ソフトボールと日本の関係には、二つのラインがありました。一つは、私がハワイ日系野球・ソフトボール協会の招待選手として活躍した世界日系野球協会のライン、もう一つがナガセケンコー株式会社のラインです。前者は、ハワイタイムスの社長日系二世のポール・円福氏、後者は重役だった田邊理氏の貢献が大でした。

 1999年、最初に日本を代表してブラジルのソフトボール指導に行ったのが、日本協会常務理事の一之瀬貴先生です。当時は、ブラジルのほとんどの選手がウインドミルを行っても、投げる腕(尺側筋)を脚(大腿筋)に接触させることは出来ず、一之瀬先生は、いわゆる「ブラッシング」を初めてブラジルに紹介したのです。それ以降ブラジルの投手力は徐々にレベルアップして行きました。翌年から2006年迄、早稲田大学の学生、投手と野手が二人ずつ組んで、ブラジル各地へソフトボールの普及に行きました。

 2007年2月28日のサンパウロ新聞を紹介しましょう。「世界のトップを目指して 女子ソフト強化を目指して 早大ソフトボール部吉村正総監督が来伯」これが見出しです。リードは、「八年前から毎年、ブラジルの女子ソフトボール実力向上のため早稲田大学ソフトボール部から指導者と選手が派遣されているが、今年も吉村正・ソフトボール部総監督(人間科学部教授)、スコット教授(米国の元ソフトボール選手)、吉形太佑(三年生・キャプテン・投手)、青山紀彦(二年生、外野手)が二十三日来伯、三月七日まで、サンパウロ、マリリア、マリンガの三都市で汎米(パンパシフィックのこと)大会に出場するブラジル・ナショナルチームや同地のクラブ選手たちを指導する」と。

 一方、ニッケイ新聞の見出しは、「ソフトボール五輪復活へ 早稲田 吉村総監督が一肌脱ぐ!『伯から世界一の投手を』でした。「野球・ソフトボールの運命は、ブラジルの健闘にかかっている!という強い使命感を抱き世界最優秀監督にも選ばれたことのある早稲田大学総監督の吉村正(61)が愛弟子二人を連れて、二十三日来伯した。『ブラジルから世界一のピッチャーを育て、メダルを目指せるようにする』とその鼻息はあらい」と。(後略)。

 私は、ナショナルチームの指導を毎日、帰国する日まで行いました。他の三人は、各地に赴いて指導をしてくれました。

 来伯から11日後、ニッケイ新聞3月10日の記事の見出しは、「ブラジル女子ソフト強くしたい」“世界一”の総監督、早大の吉村さん「指導、充実した11日間『リオ五輪』があれば正式種目の可能性 5月、3選手日本に招く」でした。

 5月にブラジル・ナショナルチームの二人のエースはシンチャとニウゼ、更に、ブラジル野球・ソフトボール協会副会長のオリビオ沢里の息子デニスの三人を3週間招待して、エースにはピッチング、デニスにはその指導法を伝授しました。三人が早稲田大学所沢キャンパスの宿舎に滞在したときは、毎日のように近くの焼き肉店に行ったのが楽しい思い出となっています。日本語、英語・ポルトガル語のちゃんぽんでした。ボディーランゲージも多々ありました。

 2年後、私は再びブラジルのナショナルチームの指導に行きました。そしてその折のニッケイ新聞2009年2月12日の記事があります。見出しを紹介しましょう。「早稲田 五輪野球ソフト復活へ 吉村総監督が来伯指導 『選手の裾野を広げたい』 リードは、「野球ソフトボールの五輪復活プロジェクトを進める早稲田大学ソフトボール部総監督、吉村正氏(63、同大教授)が七日来伯し、十二日までソフトボールの指導やティーボールの普及を図っている。2012年のロンドン五輪で野球ソフトボールが正式種目から姿を消し、一生懸命練習している選手たちの目標が一つ失われる可能性がある。吉村さんは数年前から正式種目復活への手立てを独自に練ってきた」と。

 その後の記事は、(前略)「この11年間、自身を含めて、延べ16人が指導のため来伯した。百周年の昨年五月は特別に三人を早稲田大学で三週間特訓をした。『本当に上手くなった』と振り返る。(中略)『ブラジルは2016年の可能性が薄れたことで、むしろ準備に四年間のゆとりが出来た。それなら、子供向きのティーボールで野球人口の裾野を広げたい』と考えなおした。(中略)。ブラジル野球ソフトボール連盟(大塚ジョージ会長)が中心となって、国内で普及することとなった。(後略)。

 そして、それから10か月後、ニッケイ新聞2009年12月1日の記事がここにあります。オリビオ沢里副会長が、私に送ってきてくれたものです。その見出しは、「ティーボールを児童教育に サ・アンドレ―で人気上々 成績あがって、喧嘩減る 野球人気につながるか」 記事の内容は。(前略)同校でティーボールの普及に努めているサルベルナイド・ド・カンポ野球クラブのクワハラ・アントニオ・クニオ監督は、早稲田大学人間科学部教授で日本ティーボール協会の吉村正理事長とオリビオ沢里会長の縁で、野球の底辺拡大し力をつける目的で、ブラジルにティーボールが伝わった。(後略)」と。

 それから11年後の2020年1月25日、日本ティーボール協会京都府代表の小西美加評議員と廣瀬拓哉評議員の二人が、野球とティーボールの指導のためにブラジルに行きました。その指導ぶりは大好評だったと報告を受けています。

 以上、1999年の一之瀬先生による指導から、今日までの23年間、日本ティーボール協会と、ブラジル野球・ソフトボール協会とは、極めて深い、友情で結ばれています。

 昨日のサッカーの試合を観て感動しながら、一方で、野球とソフトボール、更にはティーボールで繋がっている日本ティーボール協会とブラジル野球・ソフトボール協会の関係を思いだしました。