7月29日「大橋、橋本、新井各選手(金)、本多(銀)そしてサーフィンの五十嵐カノア(銀)カリッサ・ムーア(金)お見事です」

 大橋2冠 橋本「金」 新井「金」。本多が「銀」。 一昨日は、ソフトが「金」そしてサーフィンの五十嵐カノアが「銀」でした。そしてカリッサ・ムーア(金)。皆さん桁外れ、おめでとうございます。

 大橋さん、遅咲き25歳、400メートル個人メドレー金に続き200メートルでも金。前者の時は、涙、涙で、この度は、笑顔、笑顔です。「夢みたい。本当に自分がやったのかなと言う感じ」ときれいな標準語で最高の喜びをこのように表現しました。滋賀県なまりがあるかなと思って聞いていたのですが、全くありません。私はこの年になっても京都の言葉を大切にしています。そう思いながら、今日4紙目となるサンケイスポーツを読んでいたら、東洋大からの同級生の岡田真祐子がこの金メダル獲得について、大きな貢献をしたとのこと。その岡田さんは奈良県出身。二人の間でのやり取りは、当然関西弁、そうかお互い関西弁で気晴らししていたのか。恩師平井コーチも「岡田がいなきゃ、今の大橋悠依はいない」ですって。持つべきものは同じ言語の親友ですか。

 橋本君、昨日の金メダルを獲得した時間が夜遅かったので、各スポーツ紙の記事は、少ないです。あの最後の鉄棒、鉄棒の小野から森末、そして何より我々を長く魅了、楽しませてくれた内村、その伝統を受け継ぐかのような、見事なもの。個人総合の吊り輪で得点が出なかったので、心配していたのですが、最後の最後、オオトリの鉄棒で逆転、19歳とは思えない見事な演技でした。力、技術、スピード、柔軟性、そして、何より体全体の線が美しかった。これからは橋本時代か・・・、本当に楽しみです。

 新井さん、申し訳ありません。私は柔道が大好きですが、新井さんの事、あまり知りませんでした。何か埼玉県出身ですって。しかも児玉高校。早稲田大学本庄高等学校は、関越道本庄児玉のインターの横にあります。その本庄児玉の早稲田のキャンパスでは「喘息時のためのティーボール大会」を開催したことがあります。えらい近所ではないですか。今後ともよろしくお願いいたします。階級は70キロ級、この階級で勝つのは至難の業。外国勢は、この体重での選手が絶対的に多いからです。新聞によると、新井さん、児玉高校での学業成績は、オール5ですって。賢い。これから誰よりも、応援しまーす。

 本多が「銀」このレース見ましたよ。あのマラソンのアベベを思いでしました。決勝に残った選手の中で記録は8番目、だから8レーン。ドンケツからのスタートです。そこから150メートルまで4位、よく頑張っています。あと50メートルまずメダルは無理と思ったら、テレビの解説者はあの萩原智子さん、シドニー五輪背泳ぎで4位、彼女が「行け!!」「行け!!」だって。解説ではなく全くの応援団長、これ面白い、行くのかな、と思っていたらなんと「銀」めちゃくちゃびっくり。行ってしまいました。そして更に今日の新聞を読んでいたら、彼のお父上がお医者さんだって。コロナ禍の中で頑張って下さっています。またまた、彼もこれから応援しなくちゃ。

 今日の最後は、昨日、ソフトボールばかり書いて、サーフィンを書く機会を逃しました。このサーフィンは「ハワイが発祥の地」。私がハワイでサーフィンを初めて見たのは、1968年、日本の高校生ソフトボール代表チームをハワイに連れて行った時です。私は、まだ大学4年生肩書はそのチームのコーチ。最終宿泊場所はハワイグランドホテル、ホノルルズー(動物園)の前にありました。そこからワイキキビーチまでは、歩いて1分。そのダイアモンドヘッドサイドに少し波が高くなるところがあります。「波を使って上手いこと遊びよるなあ」これが私のサーフィンを見ての第一印象でした。その1年後から2年半ハワイに留学、その後毎年のようにハワイに行き、1985年から1年間ハワイ大学の客員教授。その後も毎年のように第二の故郷ハワイには行きました。その間、どれほど多くのサーファーとハワイで出会ったか。マカハのビーチ、ノースショア―のビッグウエーブ、これ映画にもなりました。このサーフィンがまさかまさかのオリンピック種目です。そして、その銀メダリストが、五十嵐カノア、カノアはハワイ語で「自由」という意味。見ましたよ彼の波乗り。決していい波が来たとは思いませんでしたが、それはそれは見事な演技。感動でした。ボディーサーフィンしかできない私は、まさにそれは神業。「銀」おめでとうございます。次回のフランス大会は、何かこのサーフィンはフランス領タヒチで行われるとか、本当ですか。見に行こうかなあ。

 そしてもう一人忘れては困ります。カリッサ・ムーアさん。ホノルル市ハワイ州生まれ。4度のツアー優勝、世界ランキング1位、波乗りの女王。ハワイの英雄。彼女は予想通り「金」メダル獲得です。地元ホノルル・ワイキキの波の低いところで基礎を鍛え、そして徐々にレベルを上げて、マカハの波にチャレンジし、そしてサーフィンの聖地、ノースショアで仕上げたのでしょうか。「アロハ精神」で頑張った女王がハワイにいることを、日本のハワイを好む皆さん、ハワイ観光をしようと思っている皆さん、ぜひ知っておいてください。

 本日の多くの金。銀メダリストの方々、誠におめでとうございました。