8月13日「近江高校の山田陽翔投手甲子園で9勝。1番は桑田真澄投手20勝、2番は協会評議員石井毅=木村竹志投手14勝」

 全国高校野球第104回大会、昨日の滋賀県代表近江高校は、山形県代表鶴岡東高校と対戦しました。我々の全国小学生ティーボール大会では、山形県から2チーム、滋賀県から1チーム参加します。山形県からは、蔵王と真室川からのチーム。滋賀県は新旭・安曇川合同チームです。

 兄貴分の高校野球は、選抜準優勝の近江が、8対4で勝利しました。近江の多賀監督は、平安高校出身で私の後輩。その近江のエースが山田陽翔君。昨日の完投勝利で甲子園9勝をあげました。お見事です。

 さて甲子園で山田選手より多くの勝利した投手は、誰でしょうか? 12人います。最も多いのがあのPL学園の桑田真澄投手、その数20勝。1年生から3年間凄かったです。そして次は、春夏連続優勝の箕島高校の石井毅投手、14勝。3番目が12勝の早実荒木大輔投手と横浜商業の三浦将明投手。活躍した選手の名前がすらすらと出てきます。そして、11勝が横浜高校の松坂大輔投手と興南高校の島袋投手。10勝は私の2年上の大投手であった法政二高の柴田勲投手ら6人です。

 さてここで、皆さんにクイズです。この中に日本ティーボール協会深く関わってくださっているのは誰でしょう?

 答えは、石井毅さんです。以前この「理事長からのメッセージ」でも紹介しましたが、現在のお名前は木村竹志評議員。先日8月1日にも事務局にメールを頂きました。その内容は、「NPO法人紀州レンジャースの木村です。NPO法人紀州レンジャースが統合して、NPO法人和歌山野球振興会・夢クラブになりました、理事長は変わらず木村竹志のままです」と。この木村さんがあの甲子園14勝の石井毅投手なのです。ここで少し木村さん=石井さんの略歴を紹介しましょう。

 石井毅選手は、1979年箕島高校時代、春夏連続優勝を成し遂げた優勝投手。卒業後、地元住友金属に入社、第53回都市対抗時代でも優勝投手、1982年所沢の西武ライオンズに入団。引退後は、ご夫人の実家である木村家に養子に入り現在の名前となられました。

 日本ティーボール協会との繋がりは、木村さんが子どもの野球指導にとても興味を持たれて、和歌山県での初級講習会受講、その後早稲田大学国際会議場で開催していた「日本ティーボールセミナー」に参加、そこで中級指導資格を取得。それからというものは、日本協会の評議員として大変なご活躍です。例を挙げると、2013年のスポーツ祭東京(国民体育大会)では視察に来られ、2015年開催の和歌山国体では、有田市において見事にティーボールの大会を開催してくださいました。その折、紀州レンジャースの名選手たちが、何と「どか点ティーボール」の試合を行い、盛り上がっていたのを記憶しています。木村さんとは「プロ野球OBクラブ」の理事会で6年間ご一緒しました。彼は、この日本式ティーボールを参考にして、日本式ティーボール=キッズ・ベースボールの普及に全力投球されています。我々の大切な仲間の一人です。

 本日の「理事長からのメッセージ」は、近江の山田投手の9勝目を読んで、14勝した石井毅=木村竹志評議員を思い出しました。木村さんは、物凄い選手であったのです。その彼と我々は、子どもの野球底辺拡大のために、この日本式ティーボールの普及活動ができることは、大きな喜びですね。