9月10日 ヤクルト高橋奎二投手ナイスピッチング センバツ甲子園と私の「右肩腱板断裂」を思い出しました

 9月9日の阪神対ヤクルト戦は首位攻防戦でした。ペナント終盤の大切な3連戦。1試合目の7日は12対0でヤクルトの勝、8日は5対3で阪神の勝、1勝1敗で迎えた第3戦は13対3でヤクルトの勝。この試合ヤクルトは15安打、阪神は8安打。ヤクルトの青木、山田、村上、サンタナの4人は複数安打でした。さてここで、その時の投手は、阪神もヤクルトも高橋、高橋対決、高橋ダービーです。結果はヤクルトの高橋奎二投手の勝利。

 皆さん、高橋奎二投手を覚えておられますか。彼は2014年センバツ甲子園で優勝した龍谷大平安高校の2年生エースです。

 この試合6回6安打10奪三振3失点、今季3勝目をあげました。先日の奥川に続き甲子園での初勝利。思い出多い甲子園での勝利はさぞ感慨深いものがあったでしょう。今季序盤は1軍での登板はなく、私は心配していました。ところが6月13日ソフトバンク戦でこれも6回3分の2を2失点で初勝利、ホッとしたのを覚えています。

 高橋奎二投手には、特別な思い出があります。それは彼がセンバツ甲子園球場で大活躍の時、私はなんと慶応大学病院の整形外科に入院していたのです。その原因は、雨の日に急いで買い物をしようとコンビニに入ったらそこで、滑ってしまい、身体はいわば水平状態になり、右肩からダイレクトでコンクリートにたたきつけられたのでした。それ以後右肩が上がらなくなり、車を運転しても駐車券が取れません。何時まで経っても治りません。そこで2か所の病院で診断を受けたらいずれも「すぐ手術です」と言われたのでした。

 4月1日に入院、病名は「右肩腱板断裂」で、2日に手術、物凄く痛かったのを今でも覚えています。看護師さんが痛みはどうですか、何10パーセント位痛いですかと質問され、私は100%痛いです、と答えたのを覚えています。私は痛いのに弱いです。そのためか平安が甲子園で一つ一つ勝ち上がっていくのは新聞等で分かっていたのですが、テレビを観る元気はありませんでした。でも高橋君が頑張っているのはいつも耳にしていました。そして、4月4日か5日だったと思いますが、優勝戦の日は少し痛みも和らいでテレビを観ました。優勝した瞬間、嬉しくて、その喜びを原田監督にすぐ伝えたく、電話しました。その折、彼もいろいろなところから祝福の電話をもらっていたのでしょう。少し涙ぐんだような声で喜びを返してくれたのを覚えています。こんな楽しいドラマをくれたのが、高橋君たちでした。その後、彼のドラフト、進路、そしてヤクルトでの活躍は誰よりも注目していたのです。

 この2014年の4月8日に退院してからは、約3か月の間、全国の大会、予選会、講習会、役員会等では、いつも三角巾で右肩を固定して参加していたのを記憶している方はおられませんか。実はこのような事があったのでした。現在は、1年に1回慶応大学病院に行き、その後の経過をレントゲンで撮影してもらい、先生からご指導を頂いています。

 現在の高橋奎二投手は、151キロの速球、チェンジアップ、110キロ前後のカーブ等を投げ分け、新しいフォームにもチャレンジしているとのこと、今後の更なる活躍を期待しています。いつの日かお会いできた時は、野球談議だけでなく、勿論、日本式ティーボール、日本ティーボール協会、このティーボールを広めることが野球の底辺拡大に必要な事、多くの話をしっかりさせて頂きます。でも、現役中は、野球人としてプロに徹し、より良い成績をあげられることを一先輩として願っています。

 この度の阪神戦での好投、誠におめでとうございました。