9月20日 「敬老の日 村上宗隆21歳7か月通算100号は日本一 顔と聡明さが元日ハムの大嶋匠に似ていませんか。」

 今日は、敬老の日。「敬老」、字の通り年長者を敬う日です。言葉は時代とともに変わります。これらの言葉は、将来「お年寄りの日」とか「経験豊富な人の日」と言ったような優しい言葉を使った休日になるのでしょうか。その時々に使用する言葉は難しいです。言葉遣いを間違えると喧嘩になることもしばしばあります。今日の敬老の日は、平たく言うと「若い人は、お年寄りを大事にしましょう。お年寄りは、若い人に迷惑をかけないように様々努力をしましょう」。これでどうですか。今日はこのような日ではないでしょうか。

 その敬老の日にビッグなニュースが入ってきました。「ヤクルト村上宗隆内野手が昨日最年少21歳7か月で通算100号のホームランを打った」と。右翼席中段へ今季35号をかっ飛ばしました。これは西武の清原和博が持っていた記録を32年振りで更新したものです。彼は熊本県九州学院高校の出身。甲子園への出場は1年生の夏のみ。そのためか清原がPL学園で活躍したように高校当時から全国的に有名ではありませんでした。でもこの通算100号はとてつもない大記録です。これは以下の伝説の全ての名選手を超えたということになるからです。怪童中西太、国民栄誉賞松井秀喜、アジアの安打製造機張本勲、世界のホームラン王王貞治。これらの選手を皆超えてしまいました。この記録が如何に桁外れかが分かります。熊本県出身で同郷の先輩川上哲治野球の神様も、さぞや天国でお喜びになっているのではないでしょうか。

 さて、この村上選手、誰かに似ていると思いませんか。ソフトボール界からプロ野球の世界に飛び込んだ大嶋匠にです。正面、横顔、どの角度から見てもよく似ています。顔だけではありません。野球とソフトボールとの違いはありますが、高校まで村上は捕手、大嶋も高校・大学と捕手、プロに入ってからは内野手。守備位置も同じです。また、二人とも聡明。サンケイスポーツの横山記者の記事によると「ゴジラ(松井)と相通じる打席での驚異の記憶力」という見出し。一方大嶋匠は現在、T市役所の公務員、正規の公務員試験を受験して合格。そして今は確か「税務課」勤務とか、彼の記憶力も素晴らしいです。二人とも記憶力抜群、賢いです。

 日刊スポーツの一面トップは、木下大輔記者の記事です。「神宮で決めた!!」が見出し。そして、「雲一つない夕焼けの空へ、村上らしいきれいな放物線を描いた。青木の先制2ラン直後の1回1死。広島高橋昴の134キロの変化球を捉えた。打った瞬間に確信。21歳の4番は、ゆっくりと歩きだした。史上最年少の通算100本塁打達成。『両親が見に来ていた。僕が打たないと帰らないのかなと思ったので、打ててよかった』。節目を見たいと両親が前カードから上京 (中略) 思い出のアーチは1099日前のプロ初アーチ、『神宮で、ヤクルトファンの前で打てたことはうれしい。始まりもこの球場だったので』と感慨に浸っていた若き4番が、ただひたすら目指すのは『勝てるように、優勝できるように』。大目標へ向け、まだまだアーチを積み重ねる。」と記しています。熊本県から上京されていた村上のご両親はさぞやお喜びのことでしょう。

 実は、大嶋のご両親も、大学時代彼が活躍する試合は必ずといっていいほど、見に来られていました。男子ソフトボールチームでは珍しいことです。女子の試合では保護者の方、親戚の方、ご近所の方等が見に来られるのは結構ありますが・・・。村上、大嶋ともご両親の深い愛情の下で立派に成長されたのです。4年で100号ホームランを打つ、プロ野球を終えた後地元で公務員になった、これいずれも大変な親孝行です。敬老の日にふさわしいグッド・ニュースを紹介できました。

 この記事を書いた日刊スポーツの木下記者、ここ10数年日ハム担当。今はヤクルト担当に変わられたのですか。私も彼から数回取材を受けたことがあります。村上と大嶋の顔や仕草が似ているかどうか彼にも電話して聞いてみますか。

 村上宗隆選手21歳という若々しい選手が、立派な記録を達成しました。それをご両親初め、多くの「お年寄り」の野球ファンが喜んでいます。更に、彼の笑顔を見て、日本ティーボール協会中級公認指導者資格保持者の元日本ハムファイターズ大島匠選手を思い出しました。彼もプロ野球に入るときは、多くの野球ファン、ソフトボール愛好者、ティーボール関係者、更にはマクレー(ハワイ語でお年寄りと言う意味)の選手たち、に沢山の喜びを与えました。中でも日本マクレー(高齢者)ソフトボールリーグで楽しんでいる60歳、70歳、80歳台の選手たちに。これは今もって忘れることはできません。

 若い人の活躍は、お年寄りを元気にする、勇気づけることになります。その様に感じた今日の私の「敬老の日」でした。