9月8日 「1969年・1年だけのグローバル・リーグ開幕」の記事。「東京ドラゴンズ」、私は当時ハワイに留学中、森先輩との出会い

 昨日の日刊スポーツの裏面は、全面を使用して「1969年 1年だけの侍 東京ドラゴンズ」が見出しでした。その内容は「グローバル・リーグ」について。白黒の写真には、中央に森徹監督(早稲田・中日・大洋・東京・59年打撃2冠)、そして21人の侍選手がデカデカと掲載されています。中には、黒崎武(桐生高校ー東映)選手や古賀英彦(巨人ー後のダイエー二軍監督)選手、そしてその時代スターだった矢ノ浦国満選手。記事では、(近鉄ーサンケイー巨人 球宴3度出場)とありますが、私の記憶では、最初に入団したのは、西鉄ライオンズではなかったかな?と。当時、西鉄には三塁手に中西太、遊撃手に豊田泰光がいたため出場できません。そのため、トレードで近鉄に移ったはず。私の記憶違いなら、ゴメンナサイ。

 写真提供者は、森徹当時監督の長女郁さん。森先輩からお嬢さんが歌手として活躍されたテープをもらったことがあります。森先輩とは、全国野球振興会(プロ野球OBクラブ)において、理事長、理事として親しくお付き合いさせて頂きました。錦糸町での理事会の後、帰宅途中に高田馬場の日本ティーボール協会事務所にお寄り頂くと、長話をしたものです。その後はお決まりのコース、岩浪さんを交えて、3人での夕食でした。そんな友好な関係でしたので、私は、彼を理事長ではなく、森先輩と心を込めて呼んでいました。

 そこでの話は、野球と柔道。森先輩は早稲田大学の柔道部OBでもありました(柔道5段、当時は力道山の義理の弟分としても有名)。柔道は、森先輩も私も講道館柔道ではなく、京都の武徳殿柔道、話は、柔道の達人、吉松、夏井、醍醐、海老井、森下先生等の噂話、これが当然のようにはずみます。

 その食事会で、この1969年「グローバル・リーグ」の話もしました。

 1969年5月、私の人生の恩人古生正夫(マサオ・コイケ)先生(ハワイAJA野球・ソフトボール協会会長)が、日本にお越しになり、その先生の帰りの便で、私は先生と同乗、夢の国ハワイへと向かったのです。一言でいうと古生先生は、私をわざわざ日本に、迎えに来てくださったのでした。

 その10か月前、私は日本代表京都明徳商業高校ソフトボール部(前年アジアソフトボール選手権大会優勝チーム)のコーチとして、ハワイにいました。その折、私は古生先生ご夫妻にお認め頂いて、留学が決まったのです。その留学は、英語、経営学を学び、その余暇に野球とソフトボールを、プレーするという約束。英語と経営学は、ホノルル・ビジネス・カレッジで学び、その後は本派本願寺の日本語学校でアメリカ人児童(小学生)を対象に教師を務めました。また、平日の夜と日曜日は、招待選手として、ソフトボールと野球をプレーし続けたのです。年間150ゲーム、留学中に350ゲーム程試合に出場しました。

 このハワイAJA野球・ソフトボールリーグは、とてもレベルが高く、そのリーグから、戦後日本のプロ野球にスカウトされた活躍した選手は数えきれないほどいます。中でも、ウオーリー・与那嶺、スタンレー・橋本、エンディー・宮本、ビル・西田、カールトン・半田、更に、古くは、カイザー・田中、七色の変化球を投げた若林、柏枝、平山さん達まだまだおられます。彼らの後輩として、私は、ハワイの土地で、選手の逆輸入、日本人初の選手として、ハワイでプレーさせて頂いたのです。留学期間は、2年と3か月。

 その留学中に、この東京ドラゴンズがアメリカのフロリダ、ハワイ、ベネゼーラのカラカス等でプレーしたのです。私は驚きました。1ドルが360円(現在は円安でも1ドルが140円前後)、アメリカへの片道切符が20万円から30万円する時です。力道山か誰かが、森先輩のために援助しているのかなと勘違いしたものです。それほど、日本人がアメリカに来る、しかも21人のチームでベネゼーラにまでも行くなんて考えられない、在りえない時代でした。

 この「グローバル・リーグ」参加へのナイス・トライ、進取の精神、フロンティア精神、活躍、苦悩については、昨日から日刊スポーツで連載されています。めちゃくちゃ興味深いです。天国の森先輩、一緒にこの記事を通読しましょう! 私にも、記者が取材に来るかもしれません。その時の答えは、「私は詳しくは知りません、天国の森先輩に聞いてください」でおしまいです(ザッツ・オール)。それほど、森先輩のトライは、凄かったのでした。

 そうそう、上記外野手の黒崎武選手は、この日本ティーボール協会群馬連盟を創設する時に協力してくださり、桐生市や静岡県伊東市で数回打合せを行いました。黒崎さんの桐生高校は、あの有名な「稲川道場」。高校の先輩初代安打製造機毒島さん(東映フライヤーズ)からも、様々ご指導を頂きました。毒島さんは、全国小学生ティーボール大会を20数年前、当時の西武球場で開催した時、打撃指導者として、参加してくださったこともあます。協会黎明期の恩人の一人です。

 森先輩には、「全国小学生ティーボール選手権大会」において、挨拶やら、始打式やらで、数回大変お世話になりました。

 こんなことまで書き始めると、今日の「理事長からのメッセージ」の終わりが見えません。この続きは、明日の日刊スポーツ「野球の国から」をご覧ください。明日の記事も楽しみです。