9月11日 会の終わりは荒川博野球塾塾長のお礼の挨拶でした。川上哲治元監督への心からの感謝が伝わってきました。素晴らしかったです。

 「第8回日本ティーボールセミナー」(平成13年1月20日)終了後、セミナーの出席者のほとんどが「荒川博野球塾発足パーティー」会場の椿山荘へと移動されました。

 荒川先生と岩浪専務と私の3人は、14時半からの特別シンポジウム(「銀メダルおめでとう」)を終えた後、他の人たちより2時間ほど早く椿山荘に向かいました。到着するとすぐに、荒川先生は約600枚の色紙に「一打一生 荒川博」のサインを書かれました。それは見事な達筆でした。

当日外は雪が舞っていましたが、荒川先生は上着を脱ぎ、ワイシャツ一枚で一筆、一筆に心を込めて書かれていました。

 18時30分、パーティーが開演しました。最初の趣旨説明を私が行い、その後発起人である、海部俊樹会長、長嶋茂雄監督、王貞治日本協会顧問の挨拶、鏡開き、乾杯と続き、間をおいてから川上哲治元監督、鳩山邦夫東京都連盟会長挨拶、銀メダルスタッフやプロ野球OBからのエール等を終え、宝塚から花束が贈呈されました。

 そして、いよいよ会の終わりは「荒川博野球塾」塾長からの挨拶でした。

「本日は足元の悪いところ、またお忙しいところ、これだけの人数の方に来ていただき、お祝いの言葉をいただき、本当に感謝しております。まして日本のプロ野球界の最高のス―パースター二人が来てくれました。そして私の師匠でもあり親父でもある川上先生が来てくれました。感謝にたえません。私は31歳のときに川上先生に拾われました。拾ってもらいました。そして王、長嶋、末次、黒江、それぞれの人間に会わせてもらいました。この出会いがなかったら今日の私はございません。私は親父に感謝しております。その親父が来てくれたということは本当にありがたいことです。私は色々な監督につきました。でも本当に尊敬できたのは川上さん一人だけです。私は浅草の生まれで非常に品が悪かった。浅草時代はボールとの出会いがなかったらきっとやくざもんになってたと思います。その男が川上さんという人に拾われるや、私はこの人に会って初めて素直な気持ちになりました。この人の下にいたら必ず俺にも運が来るとそう信じました。だから一生懸命やったのです。それが王にも伝わり、長嶋にも伝わったと思います。人生いかにいい出会いが必要であるか、私はそのためにもこれからのティーボールの会において、この21世紀から10年間、子どもたちのために尽くします。どうぞみなさん、よろしくお願いします。今日はありがとうございました。」

そこでのスピーチは、恩師である川上哲治元監督への感謝の言葉が印象に残る内容でした。

 荒川博野球塾発足後は、小学生の全国大会、健康福祉の大会、地方大会、その他試合会場の一角には必ずこの荒川博野球塾のバナーが張られ、そこでは、荒川博塾長はいうまでもなく、当日出席されたプロ野球OBの皆さんが子ども達にバッティング指導をされていたのです。日常の指導は、神宮の室内練習場が主でした。野球少年一人一人に一球一球心を込めて指導されていました。そこで育った甲子園球児やプロ野球選手は大勢おられます。

 荒川博先生の野球界への大きな恩返しをそのような場所でなされたのでした。

【引用・参考資料】

「荒川野球塾発足 (2001年1月20日)於 椿山荘」 「編集委員会委員長 吉村正 

発行者 日本ティーボール協会(会長 海部俊樹) 2001年5月10日発行」より