11月14日 昨日、日本ティーボール協会初代評議員のマット・リフキン氏と高田馬場で再会。次回は離日2日前の18日にお会いします。
昨日、マット・リフキン氏と高田馬場でお会いしました。先月30日来日されてから、私にとっては2度目の夕食会。同席してくれたのが、彼がソフトボール部に所属していたときの歴代主将の二人です。一人は、この日本ティーボール協会の幹事を引き受けていただいている堀籠氏。もう一人は、現在大企業で執行役員を務められているT氏。
4人の共通の話題は、インカレ前の菅平での強化合宿、静岡伊東市の春合宿、京都遠征等、40年前の思い出話に花が咲きました。次回は、彼が帰国する2日前の18日の夕方に、高田馬場駅近くで会うことになりました。そのときは、昨日多忙でこられなかったD氏、A氏の両歴代主将、そして、それらの年代の関東在中のOBたちに声をかけるということで一致しました。大勢が集まりそうです。
さて、そのマット・リフキン氏とは、いかなる人物なのか。ここで簡単に紹介したいと思います。
現在はカリフォルニア州で、大きな農場の経営者。それまでの仕事は、ゴールドマンサックスのヴァイスプレジデント、日本語に訳すと、副社長か部長といったところ。副社長時代の彼の仕事場は世界中で、特にアメリカ、イギリス、日本が主でした。世界を駆け回ったバリバリのセールスマン。それが、10数年前に早期退職して、現在の仕事をなさっているのです。今は、動物や植物と共に生活する毎日。顔つき、体格も引き締まり、健康そのもの。
彼曰く、「農場経営のため、朝早く飼っている数種の動物に食事を出すため、休みが取れない」と。しかし、世界のセールスマンが全く正反対の仕事に挑戦、そして成功、そのご褒美に10年ぶりの休暇。奥様からのご厚意、プレゼント!ありがとうございます。
彼は、ニューヨークのロチェスター大学を卒業後、早稲田大学に編入学。野球とソフトボールが趣味で、来日した時から日本語がとても上手でした。卒業後、一度アメリカで就職、その後、再来日。日本語の読み、書き、全てに素晴らしいです。
松井秀喜氏が、読売ジャイアンツからニューヨークヤンキースに入団する時の通訳兼世話係の仕事に書類を出して挑戦。しかし、最終選考で不合格。ニューヨーカーとして、とても悔しかったようです。
1993年11月22日、日本ティーボール協会発足時の記者発表のときの彼の役職は、国際委員ではなく、評議員(東京選出)でした。それほど当時から日本の社会に溶け込んでいらっしゃったのです。
ちなみに、そのときの評議員で、現在余人をもって代えがたい重要な人物の名が「ティーボール入門」(1993年発行)にありました。それは頼住道夫先生(当時は厚木市立睦合中学校教諭)です。
別れ際に、マット・リフキン氏にはこれからもアメリカのティーボール事情を手紙かメールで送ってくださいね、という約束をしました。
私は、アメリカの良い友人を持って幸せです。
