7月13日 ブラジル考(その3)

 ニッケイ新聞「早稲田 五輪に野球ソフト復活へ 吉村総監督来伯指導 『選手の裾野を広げたい』

 2009年2月12日のブラジルのニッケイ新聞に、「早稲田 五輪に野球ソフト復活へ 吉村総監督が来伯指導 『選手の裾野を広げたい』」という見出しで、以下の記事が掲載されました。

 「2016年の五輪開催地に立候補しているのは、リオ、東京、シカゴなど。2014年の伯国でのサッカーW杯開催が発表されたため、『すぐ2年後に五輪は難しいのでは』という前評判があり、オバマ米国大統領の出身地であるシカゴの可能性が喧伝されている。『先週は、米国フロリダの世界ソフトボール連盟本部でその話をしてきました』と吉村さん。シカゴはソフトボールの発生の地でもあり、米国へも野球復活への働きかけをする意向だという。しかし、『念には念を』と吉村さん。さらにその次2020年の候補地として可能性が高いのは、東京もしくはブラジルと考え、以前から進めていた伯国ソフトボール強化プロジェクトをさらに推し進める。(略)この11年間に、自身を始め延べ16人が指導のために来伯した。百周年の昨年5月には、3人を日本に招聘し、早稲田大学で3週間特訓をした。『本当にうまくなった』と振り返る。伯国ソフトボール界に目標を与えるため、日本の一部リーグ実業団と交渉した結果、伯国からの選手を受け入れる見通しとなった。(略)。『ブラジルは2016年の可能性が薄れたことで、むしろ準備に4年間のゆとりができた』。それなら『子供向きのティーボールで野球人口の裾野を広げたい』と考え直した。(略)」

私はブラジル滞在中、ソフトボールのナショナルチームの指導に加え、時間があるときは子供たちとその指導者に日本式ティーボールを教えました。

 帰国してから10カ月たった時、ブラジル野球ソフトボール協会副会長のオリビオ沢里から一枚の新聞記事が送られてきました。

それは、2009年12月1日のブラジルのニッケイ新聞6面の見出しでした。

 「ティーボール児童教育に サ・アンドレ―で人気上々 成績上がって、喧嘩減る」

 記事の内容は、「試合開始前、先攻・後攻を決める手段は冒頭のようにジャンケンをし、日本式に礼をする。同競技は野球に似たスポーツだが、同校では男女、年齢に関係なく全校生徒で楽しむことができ、学業成績は前年比120パーセントのアップ、日常茶飯事だった喧嘩も激減するなど、思わぬ効果を上げている(略)」

また、手紙も同封されていました。

 「吉村先生 ご無沙汰しております。サンパウロ近郊のサント・アンドレ市の小学校で1人も日系人いない学校で、吉村先生のTボールがスタートしました。約600人の生徒が参加しました。その時に取材に来た日系新聞の記事をお送りします。」沢里。

やりましたね。嬉しかったです。

 数カ月前の指導時の話に戻ります、

S教授と私は、ブラジルのソフトボールナショナルチームを指導するために、サンパウロに入ろうとしました。その折、トラブルに会いました。一緒に来たS教授のパスポートの有効期限が切れていたのです。その結果、S教授はそのままアメリカのニューヨークへ向かいました。

私は一人でナショナルチームを2週間指導することになったのです。その時の私の指導助手は、2年前ブラジルと日本で指導した、シンチャとニュウゼとコーチのデニス沢里。

そこで時間の空いた時には、小学校で日本式ティーボールの指導をしたのです。そのため、このニッケイ新聞がオリビオから送られてきたときは嬉しかったですね。

 また、この時に私の補助をしてくれたブラジルのエース・ニュウゼ比嘉選手はその後、当時の日本リーグの戸田中央総合病院ソフトボールチームのエースとして活躍してくれましたのでした。望外の喜びでした。