7月7日 ブラジルでの野球・ソフトボール・ティーボールの思い出(その1)

「理事長からのショートメッセージ」(2026年7月7日)

 W杯、ブラジルがノルウェーに1-2で敗退。今日は、ブラジルでの野球・ソフトボール・ティーボールの思い出(その1)を書きます。

 昨日のW杯において、ブラジルがノルウェーに1-2で敗れました。ネイマール対ハーランドの勝負。ハーランドの勝ち。日本に勝ったブラジルに勝利したノルウェーとは?

あの名将と言われるイタリア出身のアンチェロッティ監督は、次の2030年大会まで契約を残している。日本戦では後半に戦術を変更して見事な勝利、今後4年間でいかなる戦術を用いて、巻き返しを図ってくるのか注目したいですね。

 さて、日本が負けたブラジルがノルウェーに負けました。ここでW杯サッカーのコメントは終了。サッカーのドシロウトの私がこれ以上書くのは、サッカー関係者に失礼ですから。

 私がブラジルからソフトボールのナショナルチームの指導をお願いされたのは1998年頃、ナガセケンコーの重役であったT氏とブラジル野球・ソフトボール協会から。そして、時を同じくしてハワイのニッケイ新聞社社長からもでした。

T氏は元大手商社のブラジル支社でゴムを扱う責任者。そのT氏から「ブラジルでは日本からの移民によって『日系野球・ソフトボール協会』が創設された。今日でも日系人コミュニティが中心となってその野球・ソフトボール文化を守っている。オリンピックも近い、ナショナルチームを強くしたい、何とか力になってくれないか?」とのお願いでした。

ハワイのニッケイ新聞社社長さんからも、同様の申し入れが私にありました。

 1997年4月、私はソフトボールマガジンの連載「ソフトボール元年(連載21)」において、「ソフトボール・アカデミー”設立構想」という題目で、①ソフトボール愛好者最優先のアカデミー、②教え子たちの力を借りたい、③大学ソフトボール研究会の学生たちの力も必要、④バッテリー指導からソフトボール全体の指導へ、⑤単行本「ソフトボール」の読者と話し合いたい、⑥中国、台湾、韓国のソフトボール本の読者、⑦パンパシフィックやボブラップ大会の役員15年。①~⑦までの小見出しで、ソフトボール界のアカデミック水準を上げたいという強い思いでこの構想を発表したのでした。

 2年後の1999年4月1日、そのアカデミーの役員と定款を公表。会長は私、副会長は荒川博氏と他2人、専務理事は丸山克俊氏、そして、事務局長は前出のナガセケンコー営業本部長のT氏、常務理事や理事には、大学や高校の先生方、プロ野球界の元名選手、ソフトボール協会の重鎮たち、医師たち、そして何よりも英語と野球・ソフトボールが得意の多くの先生方を集めました。皆さんご存じのS教授も理事として名を連ねてくれました。

 このアカデミーでの活動の柱は3本ありました。1本がピッチング&バッティングキャンプ㏌早稲田(会場は所沢キャンパス)の開催。2本目は、若手研究員の育成。野球・ソフトボールの研究を行う研究者に対して奨学金を出す。3本目は、世界への野球・ソフトボール・ティーボールの普及。ヨーロッパ担当の責任者は、専務理事の丸山先生。ブラジルはじめ中南米は私。

 丸山先生は、1999年9月16日に、オーストリア・ウイーン空港に到着、翌日からウイーンで指導、その後、20日にドイツのフランクフルト空港へ。「翌日からファーストピッチソフトボールではウインドミル投法、そして初心者には、スローピッチ・ソフトボールとティーボールを指導した」と報告書には記載されています。

報告書の最後には、謝辞として「今回のヨーロッパの旅は、私にとっては、素晴らしい体験であると同時に、今後の人生を大きく変革させられるほどのインパクトを与えられたものでした。ここにこのようなチャンスを開拓され、その計画を入念に準備された長瀬次郎社長様をはじめとするナガセケンコー株式会社の関係者各位に、そして、永年にわたり公私ともにご指導、ご支援いただいている日本ソフトボール&ティーボールアカデミー会長・吉村正先生に対し、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(原文のまま)」と。

丸山先生らしいですね。

一方、中南米担当の私は、当時、人間科学部再編時の管理職にあり、公務多忙によりソフトボール部では総監督になっていました。そこで私の代理として、当時大学院2年生のI君にお願いし、ブラジルへ指導に行ってもらうことにしました。彼は気持ちよく了解してくれ、出発前には所沢のグラウンドで彼に対して数日間ピッチング指導を行いました。才能豊かなT君は、呑み込みが早かったです。ウインドミル投法では腕と脚のブラッシングがとても重要と教えました。本人もしっかり投げられるようになりました。

1999年12月18日から20日の3日間サンパウロで、ウインドミル投法の指導。その受講生(中学生)の中に、高校は日本へ留学、その後、全日本に選出された投手もいました。I君(先生)のウインドミル投法、ブラッシング指導が実に素晴らしかったのです。当時まだブラジルの中学生や高校生は、ウインドミル投法においてブラッシングという動作を知らなかったと聞きました。

このブラジルでの活動報告は、2000年3月のベースボールクリニック3月号で詳述されています。

今日はここまで。次回のブラジル報告(その2)をお楽しみに!