8月6日 今日は「原爆の日」。
過去の経験から、戦争とは?平和とは?被ばくとは?ソフトボールとは?じっくり考えてみましょう!
今日8月6日は、米軍の原爆投下から81年となる「原爆の日」です。広島では、広島市中区の平和記念公園で、午前8時から平和記念式典が行われました。
朝日新聞の朝刊13面オピニオンには、98歳元広島市長平岡敬氏のインタビュー記事が掲載されていました。最も印象に残ったのは、「若い人たちに戦争だけは経験させたくないです。軍事に頼らず、誰もが安心して暮らせる社会をつくる」という言葉です。
私は終戦の年に生まれ、今年で81歳になります。この間、平和を願う世界の多くの皆さんのお陰で、安全で安心できる生活をさせていただいています。皆さんに感謝しかありません。
その私が戦争を強く、長く意識したのは、人生で2度あります。
1度目は、京都の自宅周辺の焼け野原、焦土が広がっていたでこぼこの土地について、成長してからそこが爆撃を受けたところで家屋がないと知り、冷や汗をかきました。終戦後10歳ぐらいまでは、その黒くて広い土地の上で、ソフトボールを毎日のように遊んでいたのです。
多くの日本人は、京都市に爆弾が落とされたことを知りません。我が家の母屋は、幸いにして、すぐ近くに大木と蔵があり、それで爆風から免れたのでした。
2度目は、ハワイ留学中のことです。私はKM君をルームメートとして2年半生活を共にしました。彼はベトナム戦争帰りのハワイ大学特待生。夜寝る前は、必ずピストル二丁とライフル銃一丁を丁寧に手入れします。いつ敵が来るか分からないのでその準備をしているのだと。彼が銃の手入れをするたびに、毎晩が怖かったです。彼は夜中、夢の中でよくうなされていました。その度に私は目が覚めるのでした。彼は18歳のときに、父親のススメでベトナム戦争に行かされ、約2年半ベトナムの地上最前線で戦っていたのでした。平和ボケしていた私は、どれほど戦争の怖さを彼から教えてもらったことか。今となっては感謝ばかりです。
さて、昨夜協会の関係者から一通のメールが来ました。それによると、「はだしにモンペ姿で練習 被爆後の『青春』になったソフトボール」という毎日新聞の記事のURLでした。
記事の内容は、「原爆が投下されてから1年後の広島。全国に先駆ける形で安田高等女学校(現・安田女子中学高校)のソフトボール部ができた。初めて実施された県大会決勝戦、1対1で迎えた7回裏の攻撃。打者が捉えた白球は大きな弧を描く。三塁走者だった草田カズヱさん(96)は、爆風で傷を負った太ももの痛みを感じながら全力疾走で掛け抜けた。『セーフ』。審判の声と同時に部員が飛び出してきた。『あんな青春を過ごせたことに感謝しかない』と話す草田さん。原爆の忌まわしい記憶を白球を追うことで振り払ってきたという。
1945年8月6日8時15分、爆撃地から1・5キロ同級生の家に着いた時、黄色い光が走った。直後、目の前が真っ暗になり建物の下敷きになった。
(中略)2カ月間ほどたちあがることができず、足には皮膚が盛り上がったケロイドが残った。学園では320人以上の教職員と生徒が犠牲になった」(2026年8月5日ニュースサイト「毎日新聞より)と。
昨日は、広島出身の中井専務理事が事務所へ来られました。7月31日から山口県下関市で開催された少年野球大会に所沢市代表として出場され、そのお土産として広島名物のにしき堂のもみじ饅頭を今いただいています。こしあんにするか、粒あんにするか、それとも黒ごまにするか。なんと平和な日々を送らせてもらっているか。
今日は、「戦争とは?被ばくとは?平和とは?そしてソフトボールとは?野球とは?を考える一日」であってほしいですね。
引用・参考資料
ニュースサイト「毎日新聞」,「はだしにモンペ姿で練習:被爆後の『青春』になったソフトボール」,2026年8月5日.
