12月20日「私の人生の恩人、戸田メディカルケアグループ名誉会長中村隆俊先生(日本協会顧問)とお別れしてきました。悲しいです。」

 先ほど、中村隆俊先生(日本ティーボール協会顧問)と戸田中央総合病院の会長室で、お別れをしてきました。11時15分に戸田公園駅に着き、病院職員の藤野日本協会評議員と福田ソフトボール部監督(元全日本監督)にお会いして、一緒に昼食を取りながら、2時開始のお別れの会迄、中村先生を偲ぶ話をしました。

 中村先生と私の個人的付き合いは、38年前からです。

 中村先生と私が出会ったのは、私が39歳、ハワイ大学の客員教授を終えて、帰国して間もない頃でした。帰国して私がこれからの日本は「スポーツ医学・健康医学」の研究が極めて重要になると考え、早稲田大学体育局の中に「スポーツ医学研究会」をスタートさせました。その研究会の会長は私、顧問には当時東京医大学長の伊藤久雄先生と中村先生。その時からのお付き合いです。大変なご指導を頂きました。因みに、その会員の中心人物は、医学界からは安達正夫先生、竹下俊文先生等、スポーツ界からは丸山克俊先生、加藤久先生等でした。

 この研究会を創設した数年後、1993年に「日本ティーボール協会」を創設したのです。その時の最高顧問が伊藤久雄先生。顧問が中村先生でした。お二人は私の恩師でもあります。因みに、日本ティーボール協会発足当時の実行部隊は、私が筆頭副会長、丸山先生は専務理事、安達先生は常務理事、竹下先生は評議員、当時戸田中央総合病院の職員であった醍醐象器さんも評議員でした。

 日本ティーボール協会を設立した時は、皆さんご存じのように「大学スローピッチソフトボール研究会」の会員が中心メンバーでしたが、「スポーツ医学研究会」の会員も多大なる貢献をしてくれました。私が、この「日本ティーボール協会」は、野球・ソフトボール協会の「シンクタンク」だというのもこのような学問的な歴史的背景があるからです。

 さて、中村先生は、1927年北海道瀬棚町でお生まれになり、北海道大学医学部出身。東京医大で研修医を務められ、その時、若き日の美空ひばりの家庭教師をお務めになられたのは、有名な話です。中村先生との食事会では、「全国の美空ひばり歌謡ショーには、付き合った」とよく楽し気に話されました。

 中村先生は1962年、兄の板橋病院のお手伝いから独立して、戸田で26床の病院で開業。中村先生からは、「当時の戸田は、田んぼばかりで、周りがカエルだらけ。夜は喧しくて寝られなかった。そこからのスタートでした」とよく聞かされました。

 現在は、TMG(トダ・メディカル・グループ)のグループは、29病院、6老健施設など120施設を運営し、従業員は約1万5,000人。

 先日、埼玉新聞に次のような一文が掲載されました。紹介します。

「病院開業から10年が経った頃、中村先生がロータリーの会報に寄せたものです」「患者がたくさん来る。しかし私たち医師は病気に至らないための予防と健康管理が本来的な仕事ではないか。戸田市も発展し、病院も大きくなったのは大変うれしい。病院は10周年、やがて20周年、30周年と歩み続けていくだろう。しかし、将来は健康や予防について、私達医師に相談し、語り合うことのできる『心の病院』としてもありたい」「戸田市民の健康管理の殿堂として存続していくことが出来たならば、こんなうれしいことはない。『病院通いよ、さらばー』という時代が到来することを市民や県民と一緒に考えていきたい」

 50年前のお考えです。物凄い見識です。

 中村先生とお別れした後は、奥様に一礼し、現在会長の中村毅先生と、短い会話を交わし、失礼しました。その間、涙が止まりませんでした。帰り際、長年中村先生の秘書として支え続けて来られた広瀬さんと偶然お会いでき、短い昔話をしました。中村先生が、その機会をお与えくださったのでしょう。

 ここに、謹んで中村隆俊先生(日本ティーボール協会協会顧問)のご冥福をお祈りいたします。

 中村隆俊先生!沢山のご指導、誠にありがとうございました。また、私の多くの早稲田大学での教え子を採用して下さり、心から感謝とお礼を申し上げます。