2月7日「小林陵侑選手金メダル。おめでとうございます!師匠の葛西紀明総監督も。川村あんり選手5位。いつまでも応援します。」
ノルディックスキー・ジャンプ男子個人ノーマルヒルで、小林陵侑選手が金メダルを獲得しました。ジャンプ日本勢の金メダルは、1999年長野大会のラージヒルの船木和喜と団体以来14年振り。そして、あの1972年の札幌オリンピックで笠谷幸生らが表彰台を独占したのが、何と昨日と同じ2月6日。その50年後にこの快挙です。誠におめでとうございます。
50年前の1972年、私は札幌にいました。オリンピックのボランティアに参加するためです。一応英語の通訳として参加したのですが、貢献度はほとんど無し。京都舞鶴港から北海道の小樽港まで船で行き、そこから札幌に行ったのを覚えています。前もってボランティアの受付、あるいは登録等をしていなかったもので、仕事がなかったのです。札幌ラーメンが美味しかったのを覚えています。
1971年8月に2年半のハワイ・アメリカからの留学を終え、京都の実家が経営する幼稚園と保育所の仕事を手伝っていた時です。帰国して3、4ヵ月した時です。父か兄かでしょうか「札幌で冬のオリンピックが開催される、お前少しは英語出来るから、ボランティアして来い」。「はい。」こんな感じで札幌を目指したものですから、仕事もなく、ボランティアもありませんでした。町をぶらぶら歩いて、外国からの観光客が困っていると、「メイ・アイ・ヘルプ・ユウ」と言って何か少しお手伝いするだけでした。そんな時に、笠谷幸生率いる「日の丸飛行隊」ですよ。金・銀・銅全部日本人が独占しました。テレビで見ていました。なんのために札幌に来たのか。大会会場に行って観てないと意味ないじゃん。そんな感じで、宿舎で自問自答していました。
あれから50年、月日の経つのは早いです。16年後に長野の船木、そして昨日の小林選手。素晴らしいです。
実は私14、5年前、笠谷が飛んだ大会会場に行ったことがあります。私と同い年で日体大のソフトボール部OBの尾崎君が車で案内してくれました。彼は北海道出身、卒業後は地元北海道で高校の保健体育教諭。日本ソフトボール協会では専務理事、その後は副会長も歴任。東京で行う日本ティーボール協会役員会(早稲田大学国際会議場)にも出席してくれたことがあります。また、当時専務理事であった岩浪さんが経営する江古田の焼き肉店でティーボール協会役員と一緒に食事をしたのも良い思い出です。ソフトボール協会とティーボール協会はお互い仲良くやって行こうというのが私の考え。尾崎君は立派な男です。その意図は十分分かってくれていました
彼とそのスタート台に着くと、彼は全くの自然体、北海道の人、当然のように着地点、下を見ます。私は、お分かりですか。体が震えまくっています。如何かその震えを彼に見せないに苦労しています。見栄を張っていますが、怖いです、震えています。10階建ての屋上から下を見ているような感じです。本当に滅茶苦茶怖いです!高所恐怖症、死にそうな思いです。そんな高い所から昨日の小林選手、104.5メートルも飛んだのです。顔は凛々しく、そして優しそうですが、結果は、鬼でもできないような凄いことです。
この小林選手を見出したのが、スキージャンプのレジェンド葛西紀明さん。2013年小林選手が盛岡中央高校2年生の時、葛西さんが見た彼への第一印象は「W杯男子歴代最多53勝の記録を持つ選手」に似ているな、というものだったそうです。17歳の頃から光るものがあったのです。その素質を見抜いた葛西選手もさすがです。小林選手が葛西さんのことを「師匠、師匠」と言うことが良く分かります。
小林陵侑選手、そしてその師匠である葛西紀明総監督、誠におめでとうございます。
同時間に行われた、川村あんり選手の5位、おめでとうございます。日本では優勝候補と言われていたので、その重圧は大変だったでしょう。それを見事に押しのけて、最善を尽くされました。私も一生懸命応援していました。高校生が最善を尽くす、また、尽くせることは物凄く大切です。将来に活かされます。まだ17歳。上述した小林選手は、その歳からの挑戦で、昨日の金メダルがありました。川村あんり選手の4年後がとても楽しみです。地元の出身ということで、この後、1年、1年成長されるのを楽しみに見守りたい、また、応援したいと思っています。 たまには、事務所から日体大桜華高校までの約30分、「小林選手。川村選手、17歳から金メダル・・・」。これを想像しながらウオーキングしてみようか。
