2月8日 国枝慎吾選手の引退を機に今一度「垣根をなくす=バリアフリー」を考えましょう。「健康福祉」の大会をより充実したものにしましょう
昨日、車いすテニスでパラリンピックで4個の金メダルを獲得した国枝慎吾氏が、引退会見を行いました。国枝氏は9歳の時、脊髄の病気で下半身がまひに。その後、12歳で車いすテニスを始められ、2006年から今日2023年の引退まで世界ランキング1位。その間、パラリンピック5回連続出場、年間グランドスラム達成10回等、数々の大記録を達成されました。
記者会見やスポーツニュースを見ていると、「十分やり切った」という思いが、満面の笑みから、にじみ出ていました。「バリアフリー、障がい者と健常者の垣根のないテニス(スポーツ)を」。これが国枝氏が選手の間、いつも頭にあった思いではないでしょうか。私も彼の笑顔を見て、様々な思い出が湧き出てきました。彼は真のチャレンジャーであり、本当に偉大な選手であり、人物だと思います。
国枝選手が活躍し始めた頃私は何をしていたかを、紹介します。今ここに、2004年11月15日発行の「早稲田大学人間科学部健康福祉科学科」のパンフレットがあります。日本協会事務所にある戸棚からそれを引っ張り出してきました。私は初代学科主任(長)として、「巻頭」に以下のように記しています。紹介します。
現在、我が国では、「健康」「福祉」「医療」「少子高齢化」「介護」「心と体の健康」などといった言葉が頻繁に使用される社会になっています。いま、これらの分野における「真のリーダー」の出現が切実に求められています。2003年4月より、早稲田大学人間科学部に「健康福祉科学科」が誕生しました。本学科は、これまで16年間培ってきた「人間健康科学科」の特徴を継承し、その基盤の上に今世紀前半に我が国そして全人類の発展に貢献するために不可欠となる研究・教育分野を新たに加えたものです。本学科は5領域に分類されます。それらは、健康福祉医科学、健康福祉理工学、臨床心理学、健康福祉科学、福祉医療科学です。そこではそれぞれの専門領域における高度な学問の探求、人間教育、資格の取得など様々なカリキュラムなどが多数用意されています。私たち本学科の教員スタッフは、日本や世界に通じる「健康福祉」を創り上げるために邁進すると共に、研究成果を発信します。そしてこの分野における有為な人材を早稲田から日本および全世界に向けて多数送りたいと強く思っています。(原文のまま)
そこには更に、各先生方の紹介の欄があります。東大卒、ハーバード大学博士課程で博士号、京都大学の客員教授、東大大学院で博士号、京都府立医大で博士号、且つ医師、東京大学大学院助教授で医師、そのほとんどの教授が国立大学大学院修了後博士。錚々たる先生方の集団でした。23人の教授の中で、早稲田大学OBは、たったの10人。早稲田はこの分野の研究では、少しばかり遅れてのスタートでした。
そこで、私の紹介の欄を見ると【学歴】【職歴】【専門】の後に【学会等】に「日本幼少児健康教育学会理事、日本教師学学会理事、NPO法人日本ティーボール協会理事長、全日本健康スローピッチ・ソフトボール協会会長、日本ソフトボール・ティーボール・アカデミー会長、戸田中央総合病院顧問、東京医科大学がん研究事業団評議員、重症心身障害者介護施設一二三会理事、財団法人南多摩整形外科病院理事(1990~1996年)等」と記されています。今から約20年前のパンフレットです。
当時、重症心身障害者介護施設一二三会と南多摩整形外科病院での理事会は、出席するたびに毎回が勉強。今でいう「バリアフリー」「ノーマライゼーション」を目で、耳で、文字で学ぶ良い機会でした。その両施設のW理事長が私の父方の従兄で、医師。重複障害者の方々の医療では、とても有名な先生でした。彼はもともと新宿区若松町にある国立病院の整形外科医で、出身は九州大学医学部。この分野では「赤ひげ先生」と呼ばれて、多くの方から尊敬されていました。私が大学3、4年生の時は、その若松町の隣の原町で下宿していたので、東京の兄のような存在で、お付き合いをしていました。学生時代から、この先生から「バリアフリーの精神」を、徹底的に教え込まれたのでした。
国枝氏が2004年アテネのパラリンピックピックに出場、男子ダブルスでいきなり金メダルを獲っても、「スポーツ」として認められず、どちらかというと「福祉活動」としての認識が強かった、と語っておられました。私はこの分野に長くいるものですから、良く分かります。国枝氏は、「反骨の精神」「進取の精神」をお持ちの真の「侍」だと思います。
この国枝氏の活動を、長く応援・支援なされたのが、ユニクロの柳井会長であることは有名です。日本ティーボール協会には、顧問にアビリティーズ・ケアネット(株)会長兼社長の伊東弘泰先生(元人間科学部健康福祉科学科客員教授)がおられます。先生も車いす使用者です。会社を立ち上げられた30歳代の頃、後見人として応援されたのが、イオンの創設者岡田初代会長でした。
どの世界にも、名コンビは大切です。ソニーの井深氏と盛田氏、ホンダの本田氏と藤沢氏。日本ティーボール協会を設立した頃は丸山・吉村コンビ。そんなことを考えながら、昨日の国枝氏の記者会見やスポーツニュースを見ていました。引退された国枝氏。これからの将来、研究者や教育者だけでなく、国民全員と気持ちのいいスクラムを組んで、今一度「垣根をなくす=バリアフリー」、「ノーマライゼーション」を考え、皆で実行して行きましょう。
我々日本ティーボール協会役員一同は、この国枝氏の引退の機に「関東健康福祉ティーボールオープン大会」並びに「ミアヘルサ青木杯健康福祉ティーボール大会」を、より充実した大会にするよう継続して考え、実行して行きましょう!
