4月23日 明治初期にベースボール型球技が日本へ、
そして明治後期の「用球の制限」によって、今でいう12・14・16インチのソフトボールは衰退する。それにより日本においては軟式野球が登場するのである。
ソフトボールの日本伝来については、1920年頃に、東京高等師範学校の大谷武一教授が、アメリカのシカゴより持ち帰ったとする説が有力とされている。これらの説は、吉田清著「ソフトボール」(旺文社)、坂井正郎著「ソフトボール(ベースボールマガジン社)、御喜正著「ソフトボール」(旺文社)で紹介されている。
しかし、先述したように、1920年頃は、アメリカで「ソフトボール」という名称は使用されておらず、この種の球技は、ベースボールの簡易化版、小型版、レクリエーション版なら、当時プレーされていた「プレイグラウンドボール」か「インドアベースボール」を日本に持ち帰ったと考えるのが妥当である。
それ以外では、明治7年に工学寮(現在の東京大学工学部)において、ソフトボールが行われたとする説もある。
この時代には、本家アメリカでもソフトボールという名称を用いてプレーされた球技は存在しないため、この説には多くの疑問が残る。
明治時代に出版されたベースボール(野球)の書籍を読んでみると、ベースボール型球技が日本に伝来したとされる説は二つある。
- 東京開成学校説
開成学校の数学教師ホーレス・ウイルソンの指導によって、1873(明治6)年ベースボール型球技が、現在の学士会館(東京)近くで遊戯されたという説。
- 開拓使仮学校説
開拓使仮学校の英語教師アルバート・ベーツによって、1873(明治6)年、ベースボール型が紹介されたという説。
以上の二人のアメリカ人が日本に伝えたベースボール型球技は、クリケットで用いるウイケット、スツールボールのスツール、ラウンダースのポストの代わりにベース(布切れ)を置いた球技であり、今日言うところの近代的な野球ではないと推察できる。
したがって、上記の2球技は、一般学生を対象にした、今日でいうレクリエーション的にプレーする「いつでも、どこでも、誰でも、安全に楽しめる球技」であったことは推察されるのである。
1885(明治18)年に出版された下村泰大編の「西洋戸外遊戯法」には、ベースボール型球技が「打球鬼ごっこ」と翻訳され、そしてその一か月後には、坪井玄道・田中盛業編の「戸外遊戯法」が出版され、その中でカタカナで「ベースボール」として紹介されている。
その巻頭には、「ベースボールハ健康ト愉快トヲ享有スルニ最モ適当ナル戸外遊戯ニシテ競争心ヲ鼓舞スルノ性質ヲ包有スルモノトス、(中略)ベースボールハ、其人ヲシテ健康ト愉快トヲ得セシムル(後略)」(坪井・田中,1885)と述べられている。
このことからも、当時のベースボールは、手軽で、健康で、愉快で、大勢の人達が一緒になって遊戯できる球技であったのである。
その後、1898(明治31)年から、4年にわたって「用球の制限」と題し、大球と重球の使用が制限され、今でいう9インチのボールより大きなボール(12・14・16インチのソフトボール)の使用は禁止され、その種のベースボール型球技は、日本においては一時期衰退していくのである。
そこで日本人が考え出したのが、ゴムまりボール=軟式野球ボールであった。
