4月22日 ②様々なベースボール型球技の一つが、現行のベースボールへ。
そして「いつでも、どこでも、誰でも、笑顔で楽しめるソフトボール(ティーボール)へ
1979年に発行されました早稲田大学体育研究紀要第11号(早稲田大学体育局発行)の47から56ページに掲載されています、吉村正著「ソフトボールの歴史的考察―起源から名称統一まで」を以下に紹介したいと思います。
【初期のクリケットがスローピッチソフトボールと酷似」
1739年に発行された初期のクリケットゲームの絵が紹介されている。それは投手が下手投げ、打者がステックのようなバットで打とうとしているものである。
次に、1762年以降、ベースを置いた球技、いわゆるベース・ボール、さらにはベースをぐるぐる回って楽しむラウンドボール、フォーコーナーズ、ファイブコーナーズ、フィーダース等が広く行われた。
1830年には、塁間60フィートのタウンボールが誕生した。
【南北戦争後に現行のベースボールへ、一方その反対に現行のソフトボールへ】
1865年に南北戦争が終結すると、ベース・ボールは活況を取り戻し、次第に職業化していった。本来遊びを目的としたベース・ボール・クラブも技術が向上するにつれ、選手になろうとする層と、以前からの大きく柔らかいボールで楽しもうとする層とに分かれていった。即ち、前者が今日でいうベースボール(野球)、後者がソフトボールである。
そのような状況下で、1866年にアマチュアベースボールチームとして発足したシンシナティ・レッド・ストッキングが、1869年にプロベースボールチームとして生まれ変わった。このチームが国内を遠征したので、各地でベースボール熱を煽るきっかけとなったのである。
20世紀にはいると、プレイグラウンド協会を中心としたレクリエーション活動は急速に普及してきた。ベースボールは更に専門的になり、一方、現行のソフトボールに似た球技は、各地で以下のような様々な名称で呼ばれ楽しまれていた。
【現行のソフトボールへ】
それらの球技が、プレイグラウンドボール、キッツンボール、小型のプレイグラウンドボール(14インチ球使用)、レディーボール、ダイヤモンドボール、レクリエーションボール、ツワイライトベースボール、マッシュボール、ソフト・ベースボール等であった。
【ソフトボールという名称の統一】
1923年、ジョセフ・リーは、前出の現行ソフトボールに似た球技を統一し、新たな名所を創案するべき委員会を組織した。
1926年には、YMCA主事のウオルター・ハケンソンによって「ソフトボール」という名称が用いられた。同年、グラディス・パーマーによって女子のためのルールブックが刊行された。
【全米ソフトボール大会へ】
1930年、L.H.フィッシャーとM.J.パウエルの両新聞記者らの努力によって、シカゴで初めてのこの大会が開催された。しかし、この大会の名称は、「プレイグラウンドボール大会」であった。
2年後の1932年には、センチュリー・オブ・プログレス新聞社の後援によって、この大会以降「ソフトボール大会」と呼ばれるようになった。
【標準ルールの制定】
標準ルールの作成に当たっては、この球技の普及に協力した全米レクリエーション協会、YMCA、NCAA(全米大学競技協会)、APEA(アメリカ体育協会)からなるソフトボール・ルール作成合同委員会によって、1934年に最終的に決められた。
1936年には、ソフトボール競技はすでに世界最大のアマチュア・スポーツ団体となっていたとアメリカの百科事典には記されていた。
以上が、47年前に私自身が執筆した論文の要約です。
