4月22日 ①ジョージ・アリヨシ氏、岡本伊三美氏天国へ。
アメリカでのベースボール、14と12インチのファーストピッチソフトボールを思い出しました。
本日の朝日新聞24面に、「ジョージ・アリヨシさん死去 元ハワイ州知事 日系2世」という見出しで、「100歳だった。ハワイ州が20日に発表」という記事が掲載されていました。
私は1970年に、ご本人から直接「ジョージ・アリヨシ杯(誠実賞)」をいただきました。それは、私の人生の恩人で、ハワイ日系野球・ソフトボール協会会長マサオ・コイケ先生のご配慮があったからでした。その年、14インチ・ファーストピッチ・ソフトボールのシニア・リーグ(最もレベルの高いソフトボールのリーグ)で、本塁打王と打点王を獲得し、打率も3割7分9厘という好成績を残した年でもありました。成績が良かっただけに、慢心せず、謙虚に、黙々とプレーすることを心がけていましたので、この特別賞をいただくことができたのでした。
昨日の日刊スポーツの2面には、「元近鉄監督岡本伊三美さん死去」、「好打者の二塁手として主力、53年首位打者」との見出しがありました。
私の京都・広野幼稚園園長の長兄は、大の南海ファン。そしてこの岡本選手は京都出身ということもあり、とにかく熱烈に応援していました。このことをプロ野球OB会の理事会で岡本さんとご一緒した時に伝えると、大変喜んでくださいました。さらに私は、「岡本さんが二塁手の時、南海ホークスは100万ドルの内野陣と言われましたね。一塁寺田、二塁岡本、三塁穴吹、遊撃蔭山でしたよね。そうそう寺田の前は飯田、穴吹の前は木塚、岡本さんの後は森下、彼もアキレス腱を2、3度切って、その後はカールトン・半田さん」とお話したところ、「先生よく知っていますね」と褒められました。それに対して私は、「当時から高倉、豊田、中西、大下、関口、河野、日比野(和田)・・・といった九州の西鉄ファン。ライバルチームのことは誰よりも知っていますよ」とも返事をさせていただきました。
さて、その日系2世のカールトン・半田さんとは、彼が中日ドラゴンズのヘッドコーチを辞められてハワイに帰ってこられた時、日系野球リーグでご一緒しました。彼が遊撃手で、私が二塁手。二人はいわゆるキーストンコンビでした。そこでの使用球は、ベースボールですから当然ボールの周囲が9インチでハード(スキン)ボールでした。
ジョージ・アリヨシ氏から「誠実賞」をいただいてから一年後の8月、2年半ぶりに「ハワイ(米国)・ソフトボール、オールスター」(マサオ・コイケ団長)の一員として帰国しました。その時は12インチソフトボールを使用して、ファーストピッチのルールでプレーしました。
埼玉、岐阜、大阪、京都、広島を転戦。全ての試合でハワイは圧勝しました。私も通算で6割を打ちました。このソフトボールが、現在オリンピック、世界選手権、全日本選手権、大学、高校等で採用されているボールとルールです。
お二人のご逝去から、現在連載しているアメリカでのベースボール型球技、3種類を思い出しました。
ジョージ・アリヨシ氏、岡本伊三美氏のご冥福をお祈りいたします。
