7月8日 平成の怪物・松坂大輔選手が引退へ 彼が最も輝いたマウンド上で、我々は「開会式と閉会式」を行います
松坂大輔投手が、今季限りで現役を引退すると新聞報道。1998年12月、怪物松坂選手は西武ライオンズと入団の契約をしました。当時の監督は和歌山県選出評議員の東尾先生の兄上。入団発表は、所沢西武ライオンズ球場の一角の会議室と思われる広い部屋。当時私は、そこから車で5分の場所にある早稲田大学人間科学部の教授。西武ライオンズ球場は、自宅からの通勤路にあります。彼の入団が決まると、若手選手が入る独身寮は、きれいに立て直し。その横を車で通勤。西武ライオンズは、このドラフト1位の怪物をあの手この手で見事な「お・も・て・な・し」でした。
松坂選手が西武に在籍した8年間は、所沢、そして隣の東村山でさえも、松坂フィーバーでどこもかしこも大変。松坂が00レストランで食事をした。どこどこで松坂を見た。グラウンドだけでなく地元は、この怪物で様々潤いました。観客は増える。その客が地元でお金を使う。松坂効果。松坂様様でした。
その8年間の成績は、1年目16勝で新人王から始まり、その後14勝、15勝、6勝、16勝、10勝、14勝、17勝と勝ちまくりました。2006年彼が西武を退団して、レッドソックスに移籍した時の、移籍金も破格。その半額が西武に支払われたと聞いています。その頃、西武が地元で何かいい企画を提案すると、地元の人はそれは「松坂マネーか」なんて冗談とも本気とも分からないことを言っていました。いずれにせよ全てにおいて「平成の怪物」であったことには、間違いありません。
私が、松坂選手を意識し始めたのは、あの甲子園PLとの延長17回の試合からです。その後明徳義塾に勝ち、決勝は京都成章高校。ここでも紹介しましたが、京都成章の初代校長は私の人生の恩人の一人福西康雄先生(日本ティーボール協会京都府連盟副会長)が中心となって創設された学校。私が応援するのは、勿論京都成章高校。でもこの怪物松坂選手を高校生のレベルでは打てません。結果は「ノーヒットノーラン」で敗北。そしてその時点で彼が所属する横浜高校は春夏甲子園連覇。私は私らの頃の浪商の尾崎を思い出しました。尾崎も松坂もそのニックネームが似ています。「怪童」と「怪物」。
ボストンレッドソックスに移籍した時は、いい街を、いいチームを選んだなあ、これが私の第一印象。ボストンはアメリカの古いアカデミックな街。京都の姉妹都市。またハーバード大学やMITがある街。そこのロブスターが大きくておいしい街です。ハーバート大学はレンガ作りで品位が高く、本当に学問を修めるならこれほどいい街はありません。協会評議員の本橋博士はここで研鑽。元理事故可部博士もこのMITで世界の工学者と競い合う。ノーベル賞の利根川先生も。研究者ならば、一度はこの町で研究をしたがるところ。そこで松坂選手は6年間で、15勝、18勝、4勝、9勝、3勝、1勝です。初めの2年間はここでも「怪物」扱いでした。あのシアトルマリナーズのイチローさんが、日本の野球界で「同志」と認めた本物中の本物。WBCでの活躍も忘れられません。
さて、その松坂選手8年間マウンドで躍動したところが西武ライオンズ球場。今のメットライフドームです。そこで、我々は日本ティーボール協会主催の「文部科学大臣杯争奪全国小学生ティーボール選手権大会」を開催します。全国の少年少女の野球好き、ソフトボール好きの小学生、地区大会を勝ち抜いてきてください。松坂投手が投げていたそのマウンドの上で「開会式も閉会式」も行います。出場出来たらいい思い出になりますよ。今年は、我々の大会が12月26日。もしかして、その数日前に松坂大輔選手の「引退試合」が同じ場所で行われるかもしれません。松坂さんの汗、香り、が残るところでティーボールができる。これ想像しただけでも最高ではないですか。
今は令和の時代。「平成の怪物」の引退表明はとても寂しい気もしますが、松坂大輔選手には、野球界において次のステージが用意されるでしょう。そこでのご活躍を心から祈念いたします。松坂大輔選手の選手生活は、西武で始まり西武で終わる。所沢で始まり所沢で終わる。1999年からの8年間と2020年から今年までの2年間、計10年間松坂選手と所沢で同じ空気を吸えたこと、不思議な縁を感じます。お疲れさまでした。 最後に本音を言います。松坂大輔選手! 「引退試合」を我々の「文部科学大臣杯争奪全国ティーボール大会」と同じ日にメットライフドームで行いませんか? 皆が喜びまあーす・・。
