8月19日 川上哲治さんからの「和」と「努力」のサインは、今から25年前の荒川博野球塾発足パーティーの時にいただきました。
ここではその時の「荒川博野球塾」発足の趣旨を皆様に紹介します。
2001年1月20日、東京都目白の椿山荘において、「荒川博野球塾発足パーティー」(発起人:海部俊樹会長、長嶋茂雄氏、王貞治氏)が開催されました。
私はその折、冒頭で「塾」発足の趣旨説明をしました。以下がその内容です。
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ただ今ご紹介にあずかりました吉村正です。本日、北は北海道から、南は九州、沖縄まで、日本ティーボール協会の役員の皆様方、ならびにプロ野球、アマチュア野球、ソフトボール、そして荒川先生の出身校であらせられます早稲田実業、早稲田大学、そして何よりも荒川先生ご夫妻のご友人である方々、ようこそこの「荒川博野球塾」発足披露パーティーにお越しいただきました。心から御礼申し上げます。この後、海部俊樹会長、長嶋茂雄監督、王貞治監督の発起人代表のご挨拶がありますので、私は今なぜ「荒川博野球塾」なのか、その主旨を説明させていただきたいと思います。
平成5年11月22日、この早稲田大学の国際会議場は安部球場とも戸塚球場とも言われていました、野球のメッカです。そこでピッチャーのいない野球、これが産声を上げました。それから7年2ヶ月の間、私どもティーボール協会の役員は、理事会と評議員会を合わせた役員会というものを東京で百五十八回開きました。1回の会議は3時間に及ぶものです。そして、その7年2ヶ月の間には、四十七都道府県で講習会を、またティーボールオープン大会を毎年開催させていただきました。おかげさまでこの日本のティーボールは加速度的に普及しております。本日ここにお集まりの皆様の日ごろのご努力とご尽力のおかげと思っております。心から感謝申し上げます。そして、来年四月からいよいよこのティーボールが、小学校3年生、4年生、5年生、6年生で体育の授業で採用されることになりました。画期的なことであります。奇跡的なことであります。この奇跡は、我々の会長海部俊樹先生が文部省に説明してくださって実現したわけであります。みなさんのお力と会長のお力で奇跡を起こしたと言えると思います。その中で、7年2ヶ月の間、荒川先生には全国あちこちに、それ講習会だ、セミナーだ、ティーボールオープン大会だと、藤井寺や西武球場など色々なところに足を運んでいただきました。そこで荒川先生がご指導なされるバッティング教室の素晴らしさ、講演の内容のすごさに、我々はいつも圧倒されました。今ほど司会者の丸山の方からありましたけれども、野球教育哲学というものに我々は感動するばかりでした。そういうわけで、全国のティーボールの役員から、また地方の役員から、この荒川先生のバッティング理論をもっともっと日本の中に、そして世界に向けて発信しなければならない、という話が湧き上がってまいりました。そこで役員会で検討させていただき、満場一致で、この機会にぜひ「荒川塾」を立ち上げさせてくださいと申し上げました。すると荒川先生は、「僕はいいよ」と躊躇なされました。「恥ずかしいよ」とおっしゃったのを記憶しています。でも丁寧に説明させていただいた結果、「私がお世話になった野球界に少しでも恩返しができるのであれ、お引き受けさせていただきましょう」と言っていただきました。その主旨を王貞治監督、長嶋茂雄監督が理解してくださいました。そして、この発足パーティーの発起人代表に名を連ねていただきました。感謝するばかりであります。本当にありがとうございました。そして当面は、この「荒川博野球塾」に関しましては、今までのプロセスから日本ティーボール協会の中に「荒川博野球塾運営委員会」なるものを設けさせていただき、窓口として対応したいと考えております。
21世紀に入りました。「荒川博野球塾」と我々日本ティーボール協会は日本の、世界の、野球の底辺拡大に向けてとことん、またこつこつと努力し続けていきたいと考えております。簡単ではありますが、この「荒川博野球塾」設立の趣旨を申し上げまして、私の挨拶にさせていただきます。本日は遠いところ、どうもありがとうございました。
「荒川野球塾発足 (2001年1月20日)於 椿山荘」 「編集委員会委員長 吉村正 発行者 日本ティーボール協会(会長 海部俊樹) 2001年5月10日発行」より
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