4月9日 学生野球の本を一緒に書いた野村徹日本協会顧問、天国へ。ご冥福をお祈りいたします。

 本日の日刊スポーツの6面に「早大野村徹元監督死去」の見出し。大変驚いています。野村さんは日本ティーボール協会の顧問、アマチュア野球界の重鎮でした。

野村さんと私は、2003年5月15日新星出版社から「野球テクニック&トレーニング」と題し、共著として学生野球界のために出版しました。その本の編者は、早稲田ベースボール・トレーニング研究会。

 当時私は人間科学部の教授兼大学の評議員、専門は健康科学とソフトボール、自分一人で野球の本を書いてはいけないだろうと考え、野村さんと相談しました。野村さんは二つ返事で一緒に書きましょう、と。

 野村さんは、早稲田大学16代野球部監督、全日本アマチュア野球連盟強化委員。大学の現役時代は、早慶六連戦の時の名捕手。大昭和製紙野球部監督の時は、昭和45年都市対抗野球で優勝。その後昭和60年には、近大付属校の監督として春夏連続甲子園に出場。輝かしい球歴の持ち主でした。

 私が学生野球の本を出版する時、最高のパートナーでした。執筆を終えて、さて投手のモデルは誰にするか?野村さんが指名したのは和田毅君(後のソフトバンクホークス)、遊撃手は鳥谷敬君(後の阪神タイガース)、そして野村さんがこの選手は今まで投手だったが打者として素晴らしい素質を持っている、将来外野手として起用したい、そこでこの本のモデルはバントの構えでどうか、と紹介してくださったのが青木宣親君(後のヤクルトスワローズ)。今考えると、同時代にこのような後のスーパースターが我々の本のモデルになってくれたのでした。モデルに感謝!紹介してくださった野村さんにも感謝、感謝!

 この本を出版してから数年たって、野村さんから自宅に電話が掛かってきました。内容は「あの野球の本」が国会図書館の関係者から、館内に入れるが良いですか?というもの。私は二つ返事でOK。こんな名誉なことはありませんから。そのような関係もあり、私が大阪に行くとよく夕食を共にしたものでした。野村さんは大阪の名門北野高校出身でしたから、大阪に本部を置く「高野連」や「朝日新聞スポーツ局」等にも大きな影響力をお持ちでした。高野連と私を繋いでくださった一人でもありました。

 この野村さんとこの学生野球の本を出版してから、1年後に同じ新星出版社から2冊の野球の本を出しました。それはあの鉄腕稲尾和久さんと共著の「勝つための野球術 生まれ変わるピッチング」。もう一冊は「勝つための野球術 生まれ変わるバッティング」、これは勿論荒川博先生と共著でした。

 稲尾和久さんは、この日本ティーボール協会の設立当初から副会長、発足してから1年半後に荒川博先生も副会長、このお二人が当時48歳の私を支えてくださったのでした。

 この日本ティーボール協会はとても人に恵まれた野球関係団体だと思っています。改めて、野村徹早稲田大学野球部16代監督と共著で学生野球の本を執筆できたこと、本当に光栄だったと思っています。

野村さんを天国に見送るのはとても残念ですが、ご冥福をお祈りいたします。  合掌