3月18日 4月初め「長瀬二郎先生を偲ぶ会」。55年に亘るご指導、誠にありがとうございました
先日「長瀬二郎を偲ぶ会」の案内が来ました。一週間ほど前に、ナガセケンコーの伊東勝徳(協会理事)さんから、この件で長瀬二郎先生と私との思い出の写真があれば、「偲ぶ会」で披露したい。その折は、協会事務所まで写真を取りに行きます。という電話を頂いていました。来週22日(火)にお越しいただきます。
先週末は、私が所有する多くの写真の中から、長瀬二郎先生との写真を探すのは、結構時間がかかりました。それは先生と私のお付き合いが、約55年に及ぶからです。ここで、その55年のお付き合いを思い出しながら、日本ソフトボール協会並びに日本ティーボール協会の大恩人である長瀬二郎先生との思い出を少し振り返ってみたいと思います。
1. 長瀬二郎先生との最初の出会いは、今から57年前の1966年春です。確か、全日本一般男子東京予選の代表者会議の席でした。当時私は早稲田大学2年生、ソフトボール同好会の主将で投手で5番打者。長瀬二郎先生は、私に「早稲田でソフトボールチームを創設されたのですか。これから大変でしょうが、頑張ってください」というお言葉をかけてくださいました。その後卒業するまで、大会でお会いするたびに、優しくご指導いただきました。
2.1971年、アメリカ留学から帰国して、何年か経った頃、私が持ち帰ったハワイで爆発的に普及していた「14インチソフトボール(スローピッチ用)」の製造を決断してくださいました。アメリカでは皮ボールの「アウトシーム(外縫い)」ですが、ナガセケンコーはゴム会社ですので、アメリカのボールに似させた形状でゴムの「アウトステッチ」として販売されたのです。(このボールは、現在でも箱入りで販売されています)
3.1980年頃ですか、私がボールの製造・製作過程に、とても興味を持っていたので、長瀬二郎先生は、私を千葉の大多喜町だったと思いますが、墨田区の本社から物凄く立派な外車でお誘い頂きました。その時の写真が①です。工場見学で、感動したのをよく覚えています。糸でぐるぐる巻いて、その後ゴムで覆われていたのです。

4.この写真②は、1999年、長瀬二郎先生が、「第1回ピッチング&バッティングキャンプ」㏌早稲田大学所沢キャンパスにお越し下さった時のものです。

この「キャンプ」を開催する年の春、長瀬二郎先生が顧問で且つ後援者、そして事務局を墨田区、株式会社ナガセケンコー内に置き、「日本ソフトボール&ティーボール・アカデミー」(会長吉村正)を発足させたのです。
そのアカデミーの事業は3つありました。一つは、若い野球・ソフトボール研究者に「長瀬二郎奨学金」を給付する。二つは、ソフトボールを世界に普及させる。特に南米(ブラジル中心)と欧州(イギリス・フランス・ドイツ等)に。三つは、早稲田大学所沢キャンパスにて上記の「キャンプ」を開催し、全国の野球・ソフトボール指導者を養成する、と言うものでした。
一つ目の「長瀬二郎奨学金」を獲得した研究員は計9名。その内2名が現在早稲田大学の教授となり、その大学、及び地域等で、野球・ソフトボール・ティーボールの普及活動に貢献しています。
二つ目の世界への普及に関しては、ブラジルは当時、近々オリンピックが開催されるということもあり、私と私の教え子たちがブラジルに行き、私はナショナルチームの指導を、学生はブラジル各地を回って、ソフトボールとティーボールの普及活動と指導を12年間、毎年行いました。この詳しい内容については、毎年「ソフトボールマガジン」が、また、読売新聞も2度記事にしてくれました。ブラジルでは、「移民と日本人」「『勝ち組』異聞」(無明舎出版)の著者で有名な深沢正雪氏が、ブラジル「ニッケイ新聞」で、また、サンパウロ新聞でも記事にしてくれました。
欧州の普及に関しては、丸山克俊先生に任せました。
三つ目のソフトボールとティーボールの指導者養成に関しては、上述した「ピッチング&バッティングキャンプ」において、投手の指導は、三宅豊現日本ソフトボール協会会長、元埼玉県庁の鈴木征先生、元厚木商業高校監督の利根川先生。野球の投手指導は、元巨人軍の高橋一三投手、コンディショニングコーチは、落合満選手を指導した元大洋のエース池田重喜投手と日体大教授でソフトボール部部長兼監督の小川幸三先生、打撃の指導は、荒川博先生、近藤和彦先生、鈴木悳夫先生、種茂雅之先生等といった物凄い方々でした。
このアカデミーの顧問は長瀬二郎先生。会長は私。副会長は、東大の平野裕一先生と荒川博先生、専務理事は、丸山克俊先生でした。
長瀬二郎先生からは、何かあると墨田区の本社、あるいはホテルのロビー、食事会等、数多くのところでご指導いただきました。
この10年では、2013年は、私の「NAFA(北米ファーストピッチ・ソフトボール協会)の殿堂入り」の会、並びに2016年の私の退職記念会「感謝の会」では、「主賓」として見事なお祝いの言葉、また、激励のお言葉を頂戴しました。
③と④はその時の写真です。


長瀬二郎先生には、シドニーオリンピックが終わったころから、「吉村先生が、ドン・ポーター会長の後、世界ソフトボール協会の会長にならなければ・・・」と、過分なお言葉を常に頂いていました。現在私はそのような立場ではありませんが、長瀬二郎先生と一緒に作り上げた「日本式ティーボール」の普及を世界的に行っていきたいと思っています。これが日本のみならず、世界の野球とソフトボールを以前のような姿に甦えさせられる、また普及させる唯一の方法かなと思っています。
これからも、長瀬二郎先生! 天国からその活動を見守っていてください。
長瀬二郎先生! 55年にわたるご指導、誠にありがとうございました。
