5月8日 軟式野球(ゴムボール)は京都で誕生しました。京都は軟式野球やソフトボールがとても盛んでした。軟式野球連盟やソフトボール協会と共存共栄を!
軟式野球のボールを試作した人、それは鈴鹿栄氏です。彼の出身地は京都市下京区。高校は京都商業で、あの沢村賞の沢村栄治氏と同じです。私の母校平安高校ではありません。残念!でも同郷で、野球関係ですので親しみを覚えます。
鈴鹿栄氏の親族が60年前、早稲田大学ソフトボール同好会(昭和40年4月に私自身が創設)に入会してきました(私が2年生で主将の時でした)。4月、5月と約2カ月間共にプレーし、時間のある時は、軟式野球のゴムボールの話、京都での生活など、楽しい語らいをしました。しかし、彼はその後、しっかり勉強に取り組みたいという理由で退会しました。もっともっと軟式野球の話をしたかったのですが、残念でした。
鈴鹿栄氏は2003年に、特別表彰を受け、日本の野球殿堂に入られています。
1918(大正7)年、野球のボールが硬くて危険度が高く、コストも高いという理由で、一般の人たちにはいわゆる硬いボールの野球がなかなか普及しませんでした。そこで鈴鹿氏は、少年向けにテニスボールで野球をするのもいいが、安全で柔らかい野球用のゴムボールを考え出したのでした。
翌年の1919(大正8)年、京都市の成徳小学校で日本初のゴムボールを使用した野球大会が開催され、その翌年には、このゴムボールを鈴鹿氏と共に考案した糸井浅次郎氏らと共に「大日本少年野球協会」を創設。同年9月には、兵庫県鳴尾球場において全国大会が開催されたのでした。
私は、京都市立二条中学校の野球部出身です。成徳小学校の近くです。
当時京都では、小学校1年生から6年生までの体育といえばソフトボール、10分の休み時間といえば、狭い校庭で、各クラスの野球好きの児童が我先にと10数か所ホームベースをあちこちにおいて、場所取り。そこで簡易ソフト(柔らかい)ボールが盛んに行われていました。
中学生になると、ソフトボールが上手な児童らが中学校で軟式野球部に入部するというのが定番でした。
私は、中学野球部では1年生の秋からレギュラー。5番で一塁手、京都市の秋の大会と2年生になった春の大会ではいずれも準優勝。上級生のピッチャーが素晴らしかったのです。2年生の秋からは最上級生となり、投手で4番を務めました。
その頃の軟式野球のボールというと、戦後から続いていた「菊型」ボールが終了し、ぶつぶつの穴が沢山あるような改良ボールであったと記憶しています。
平安高校では硬式野球部に入部。中学卒業以降は、全く軟式野球の経験はありません。ただ、軟式野球のボールを製造している内外ゴムやナガセケンコー(以前は長瀬ゴム)とは、ゴムのソフトボールを製造されている関係で、深く長くお付き合いをさせていただいています。今日もその両社には、公認のティーボールを製造していただいており、とてもお世話になっています。
ここで少し軟式ボールの発明と発展の経緯を整理しておきましょう。
明治時代、野球のボールがアメリカより導入されました。そのボールは硬く、高価で、危険度が高い、いわゆる「いつでも、どこでも、誰でも、安全に、楽しく、笑顔でプレー」できないボールでした。そこで考え出されたのが、野球のボールと同じ大きさの柔らかいゴムボールでした。
日本においては、明治時代の野球本に出ていた「用球の制限」もあり、アメリカで広く普及していた「柔らかいボール球技=ソフトボール」に代わって、日本人の知恵と経験等により、この軟式野球ボールが「いつでも、どこでも、誰でも、楽しく、安全でプレーできるベースボール型球技」として一気に普及したのでした。
早稲田大学でも、以前は10を超える多くの軟式野球同好会(サークル)が存在しました。マリの会、茜の会、球友会、理工軟式野球部(同好会)、L号軟式野球部(同好会)、その他、まだまだありました。現在はどうなのでしょうか?
ここで一つ言えることは、軟式野球連盟やソフトボール協会は、競技者や指導者の要望によって、何年かおきにボールの形状やボールの反発度を変えるということです。分かりやすくいうと硬式野球に近づけているのです。
20年ほど前も飛距離が10メートルほどアップする軟式のボールが開発されました。そのことによって見学者たちは増えたようですが、試合会場や練習会場が制限され、競技人口は大幅に減少したと関係者から伺ったことがあります。
最も顕著なのは、1949年に準硬式野球を誕生させましたが、現在では、大学の一部の部活動でしかそれはプレーされていません。
また、今、私の手元には「KBBF」という硬式野球ボールに近い、非常に硬いゴムでできたボールがあります。しかしこのボールについても、普及しているという話を聞いたことがありません。
軟式野球連盟も昨日紹介したソフトボール協会も競技性を最重要視しているように思われます。今後もこの傾向が続くのでしょうか?
そこで、野球やソフトボールの底辺を拡大するためには、「柔らかいボールで、安全なバットを使用して、打って、打って打ちまくって、そのボールを走って、走って捕りに行き、投げ返して、楽しく、安全に、笑顔でプレーできる日本式ティーボール」が最適であると考えます。
日本式ティーボールを経験した子どもたちが、競技性をより追求しようとすると、それはソフトボール協会あるいは軟式野球連盟が主催する大会に参加すれば共存共栄できます。
我々日本ティーボール協会の役員の多くは、そのような考えでソフトボール協会や軟式野球連盟とも今後も手を取り合っていきたいと考えています。
