8月3日 33年前、「顧問 王貞治 顧問 小山宙丸 会長 海部俊樹」と3名がサインした色紙が見つかりました。
7月28日(火)プロ野球オールスター戦の前日に行われた球心会のイベントの席で、約1か月振りで、王貞治先生と奥様にお会いしました。王貞治先生はとても若々しく、お元気でした。イベント会場の控室でお会いすると、王貞治先生は開口一番、「今年の文部科学大臣杯争奪全国小学生大会はいつですか?」とご質問されました。「11月29日(日)です」とお答えすると、同じタイミングで秘書室長のY氏も同様に答えられました。私は奥様にも、ぜひお越しくださいとお願いしましたら、奥様は「にっこり」と笑顔でお返事されました。
会話の途中で私が王貞治先生に、「先日夏休みで事務所の整理をしていましたら、『日本ティーボール協会 顧問 王貞治 会長 海部俊樹 顧問 小山宙丸』と書かれた色紙が見つかりました」と報告したら、王貞治先生はこれまた「にっこり」の笑顔でお答えくださいました。
今日は、その色紙をいかにして入手することができたかを説明したいと思います。
1993年7月8日、私と末次義久共同専務理事(王先生と同学年で、済々黌高校野球部が春のセンバツで優勝した時の主将)等と虎ノ門の事務所に伺いました。日本ティーボール協会の会長就任をお願いに行ったのでした。王貞治先生からのお答えは、「今世界の少年野球の普及でとても忙しい。顧問ならお引き受けしましょう」というものでした。
その後、どなたにこの日本ティーボール協会の会長をお願いするべきか、理事、評議員合同会議で喧々諤々の議論をした上で、「この日本式ティーボールを学校教育に入れたい。だとしたら、海部俊樹先生が最適ではないか」という結論に達しました。総理大臣を5年以上、文部大臣も2回務められ、そして何よりも早稲田大学の先輩であるということからでした。そこで誰が私と一緒に海部俊樹先生の事務所に行ってくださるのが良いかを考えました。その結果、「そうだ!早稲田大学総長の小山宙丸先生にお願いしよう。」ということになりました。
11月4日、海部俊樹事務所に早稲田大学総長車に乗って、ご挨拶に行きました。そこでの海部俊樹先生の最初のお言葉は、「母校の総長先生が直接挨拶に来られたら、引き受けざるを得ませんね」でした。加えて、極めてラッキーだったことは、私の名前が「吉村正」。早稲田大学政治経済学部の元学部長と同姓同名、その吉村正先生がなんと海部俊樹先生のゼミの先生だったのです。海部俊樹先生曰く、「君は若い教授だね、親戚ですか?」私は「同姓同名ですが親戚ではありません」。そして、海部俊樹先生は再び、「これは任意団体の協会ですが、母校の総長先生と吉村正が来られたのだから、会長をお引き受けしましょう。僕はそんなに動けないから、吉村さん!僕の代わりはよろしくね」でした。
そして、1993年11月22日早稲田大学国際会議場第1会議室において、「日本ティーボール協会記者発表会」を行いました。大勢の記者の皆さんの前で、海部俊樹先生は見事なご挨拶と趣旨発表。早稲田大学雄弁会出身「海部の前に海部なし、海部の後に海部なし」最高の発表会だったのです。
その日に海部俊樹先生から色紙にサインをいただき、後日その横に小山宙丸先生のサイン、そして最後に王貞治先生の事務所に再び行き、記者発表会の報告と下図(色紙)3名揃った最高の色紙をゲット。
今思うと、めちゃくちゃ立派な先生方にあちこち行ってサインをいただいたのでした。
先日の王貞治先生との話合いで、こんなことを思い出しながら、昔話にも花が咲きました。
当時私は48歳、怖いものなし。今から33年前のことを思い出しました。
以下が、そのときの色紙となります。
