10月13日「健康福祉の大会」と「ヘルプマーク」これ関係あります。普及させた京都の西村圭子さん。 凄すぎ!

 来月11月5日は、「第24回関東健康福祉ティーボール大会兼ミアヘルサ青木杯第11回健康福祉ふれあいティーボール大会」を開催する方向で、現在最終段階の調整に入っています。さて、この「健康福祉」という言葉は、いつから使用しているかご存じでしょうか。それは、今から27年前の1996年まで遡ります。その年の5月19日、府中朝日養護学校において、関東周辺のチームを集めて「第1回健康福祉スマイルティーボール大会」を開催しました。これが冒頭に紹介した大会の始まりです。その1年後の5月17日には、「第1回東京都健康福祉スマイルティーボール大会」も、上記の養護学校にほど近い東芝府中のグラウンドにおいて開催しました。

 私はこの時、この大会開催の趣旨として冊子に次のように記しました。「この大会は、主に心身に障害を持つ方々を対象にした『ティーボール・フェスティバル』です。しかし、決して障害者の“ために”開催するのではありません。“みんなのために”開催する大会です。参加者一人ひとりが、知恵を出し合い、汗を流して協力し合い、ティーボールのスマイル・スピリットを交換し合うことがその目的です」と。

 当時、私は日本ティーボール協会の筆頭副会長、そして東京都連盟も同様に筆頭副会長。そこでその時の大会冊子の私の挨拶文を読むと、次のように記しています。「“ベース・ボール・フォー・オール”『総ての人に野球やソフトボールを』これを私たちは心から願っています。このたび、“第1回東京都健康福祉スマイルティーボール大会”が開催されます。本大会は老若男女が、障害を持つ人も、待たない人も、皆が一緒になって止まっているボールを打つ“野球・ソフトボール”というティーボールを楽しむ大会です。野球やソフトボールの好きな人も、嫌いな人も皆が一緒になって一つのボールを追い、ともに楽しみ、笑い、悲しみ、悔しい思いをする。そういうティーボール大会を私達は“夢”見ています。(後略)」と。

 このようにして開始した「東京都連盟主催の健康福祉の大会」は、その後、神奈川県、埼玉県等でも、広く行われるようになったのです。それが今日では、来月5日に開催される上記の大会へ、また、10月30日、大妻女子大学多摩キャンパスで開催される第10回多摩地域障害者雇用企業ティーボール交流大会へと広がっていったのです。

 さてここで「健康福祉」との関連です。皆さん!シルバーシートや駅の構内でよく見かける「ヘルプマーク」というをご存じでしょうか? 東京都福祉保健局は「ヘルプマーク」を次のように解説しています。「ヘルプマーク」とは、義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方など、外見からわからなくても援助や配慮を必要と知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマークです。「ヘルプマーク」の配布や優先席へのステッカー標示等を、平成24年10月から、都営地下鉄大江戸線で、平成25年7月から全ての都営地下鉄、都営バス、都電荒川線、日暮里、舎人ライナーで開始し、更に、平成26年7月からゆりかもめ、多摩モノレール、平成28年12月から、都立病院、公益財団法人東京都保険医療公社の病院へと拡大して実施しています。また、平成26年7月から民間企業ヘの働きかけも実施しています(東京都福祉保健局HPより)と。

 この「ヘルプマーク」は、東京都が平成10年10月1日から上記のようにスタートしましたが、それは東京都の「ナイストライ!」でした。それが京都府宇治市の西村圭子さんの多大なる尽力で、東京都だけでなく、他の道府県に広がっていったのです。この西村さん、平成27年1月9日(金)の京都新聞の読者の声に次のように投稿されています。

 「昨年の今ごろ病院で闘病中だった。その頃大きなストレスを抱えていた。風邪をひいてしまい、3日ほど医師に処方してもらった薬を飲んでいたが、病気が悪化し救急車で搬送された。治療されたがあっという間に歩けなくなり、右目が見えなくなり、続いて左目も見えなくなって、失意のどん底に突き落とされた。なすすべもないのか、強制的に退院させられた。途方に暮れていた時、救いの手があり、京大病院に入院。最先端の医療のおかげで2ヵ月半後に退院。以前のようには、戻らないが、目も見えるようになり、歩けるようにもなった。LEDのおかげで信号もよく見える。しかし、難病者になってしまった。(中略)難病であっても、一生懸命生活している方も多い。でも健康な人より疲れやすかったり、痛みがあったりする。妊娠している人に渡される缶バッジみたいなものがつくられ、広がれば非常にうれしい。東京都ではつくられている。京都でもつくられ、全国にも広がってほしいと願う。」

 この投稿後、1月21日の同じく京都新聞の読者の声には、「先日の当欄に投稿されていた『難病患者向けバッジを』に私も同感です」(南区、IY49歳)と。このような声が京都で集まり始めました。ここから、西村さんの戦いは始まります。京都府庁の担当者、宇治市の担当者、それでも解決しません。知事等に直談判。その結果、京都府は東京から遅れること3年半、平成28年4月1日京都で「ヘルプマーク」がスタートしたのです。

 これで終わらないのが、西村さん。 全国の知事さんへ手紙攻勢です。そして、厚生労働省、更に、道府県「健康福祉課」「保健福祉課」等の責任者への手紙です。その数の多いこと、驚くほどの情熱と作業量です。平成29年(2017年)7月2日(日)の朝日新聞(京都版)には、西村さんの記事が写真入りで大きく掲載されました。

 先ず見出し。「ヘルプマーク『配慮して』「外見で分からない障害・難病示す『+💛』」「導入1年余 啓発マンガ中学生に配布へ」。記事の内容を少し紹介しましょう。「外見では分からなくても障害や難病を抱える人が、周囲に配慮を必要としていることを知らせる『ヘルプマーク』。府内には昨年4月に導入されたが、認知度はまだ低い。導入に尽力した難病者の西村圭子さん(76歳)は、『マークをつけている人を見たら席を譲ってあげて』と呼びかける」と。

 更に続きます。「(前略)東京からヘルプマークを10個取り寄せ、山田啓二知事や府内の首長、府議らに送ったのが15年2月。目が不自由ながらも導入を求める手紙を懸命にしたためて同封した。思いは通じた。手紙を受け取った府議が、直後の府議会でヘルプマークの導入について質問。その4ヶ月後、山田知事は全国で2番目となる導入を発表した。西村さんは、その後も全国の知事や厚生労働省幹部に導入や活動の協力を求める手紙を出すなど働きかけを続けている。『やるからには徹底的にやるのが私の主義ですから』(後略)」。

 西村さんの活躍は、令和3年1月8日の段階で、47都道府県中、44都道府県まで広がりました。あとの3県はどうなったのでしょうか? 今から数ヵ月前、その西村さんから私宛に手紙が来ました。莫大な資料が同封されていた中に、一筆書きに「この間は、わざわざ自宅まで来て下さりありがとうございます。「ヘルプマーク」(これ赤字でした)ここまで広がりました。今回をもって卒業したいと想います。いろいろとありがとうございました」と。やりましたね。素晴らしいです。

 「健康福祉」の大会に、この「ヘルプマーク」を持っている人が来て、エンジェルスの大谷選手、ヤクルトの村上選手の気持ちになって、バッティングティーの上に乗ったボールを思いっきり打って、特別の笑顔を我々に見せてくれると最高ですね。これを「夢」見て頑張ります。

 因みに、この西村さん、実は私の実の姉(82歳)です!