11月25日 森保監督、岡田元監督、浅野選手、堂安選手、「紫(パープル)」、そして、ソフトボールに戻ります。

 この国がサウジアラビアなら、今日は祝日です。今日の日本の新聞は、ワールドカップでの記事で埋まっています。森保監督は「次のコスタリカ戦に向けて準備せよ」と選手やスタッフにおっしゃっていますが、我々サポーターはそうはいきません。ドイツ戦を皆がそれぞれで語り合っている、昨日と今日です。このドーハの歓喜に対して、興奮は未だ冷め止みません。明日までは、ドイツ戦の余韻を楽しみましょう。

 新聞はこの喜びを様々な角度から、報じています。「森保ジャパン 想定内金星」ホンマかいな?本当に「想定内」なの?元日本代表監督の岡田武史氏は、昨日のNHKで「富士山に登るとき、勝手に頂上に着くということはない。すそ野が広がって、その上でドイツに勝利できたのだ」とおっしゃっていました。その通り、納得です。日本サッカー協会の皆さんは、全ての基礎を大切にして、一つ一つ丁寧に、協会を、クラブ組織を創り上げ、そして、選手の技術向上、ファン獲得等のためにも、人・資金・場所等を投入されたのです。その中で、何よりも感心するのは、子ども達へのサッカー指導を丁寧に行ってこられたことです。

 幼稚園、保育園、こども園等でのサッカー教室が日本各地で何と多いことか。また、腕自慢というか、サッカーなら脚自慢でしょうか、その方たちの幼児や小学生への指導ぶりは、それは見事なものがあります。我々の、幼児へのティーボール指導はバットを使用します。危険が隣り合わせにあります。それがサッカーだと足が中心で比較的安全です。その様々なサッカーの魅力・メリットを最大限利用して、見事なピラミット型の協会をお創りになりました。

 野球界とソフトボール界は、このマネージメント、選手育成法等をサッカー界から真摯な姿勢で、学ぶ必要があります。アマチュアの協会の中に、プロの組織が包含されているのです。聞くところによると、協会をより成長させる時には、野球界を反面教師として、随分参考にされたとか。今は、サッカー界と野球界は、全く正反対です。野球界は、もっともっとこのサッカー界から多くのことを学ばねばなりません。

 「指定校推薦」というキーワードが、何と朝日新聞一面トップに出ていました。大学の名誉教授としては最も気になります。何のことはない森保一監督があの決勝ゴールを決めた浅野選手を代表として選んだことによる、やっかみ半分の言葉のようです。浅野選手は三重県四日市中央高校からサンフレッチェ広島へ、その当時の広島の監督が森保一氏。それで、以上のようなことが一部で語られたのですね。その教え子の選手が大活躍、これは子弟関係でしか分からない何かがそこにあるのです。「指定校推薦」良いではないですか。大学も「指定校推薦」で来た学生の活躍は目覚ましいものがありますよ。

 次は堂安選手。同点ゴールを決めた瞬間は、あの場所にいて、あのスピードでボールをゴールに押し込みました。ガッツある最高のプレーでした。それを見事に演出したのは三苫選手や南野選手であることは、言うまでもありません。堂安選手、試合前にハリファ国際競技場の芝の上、ど真ん中の位置で、ドイツ戦を如何に戦うかを仲間の選手と長く語り合っていたのが、印象的でした。その場でゴールを決めるイメージトレーニングをしていたのでしょうか。

 朝日新聞サッカー面の見出しは「堂安次戦へ緩まず強気」。良いですね。次戦も頼みますよ。

 次に紹介するのは、鎌田大地選手。ドイツEフランクフルトで活躍中なのは周知の事実です。私が、勝手に彼に注目したのは、彼は確か四国の愛媛県出身のはず。それが高校は、何と京都の東山高校です。私の弟の後輩。私の京都の自宅から歩いて5、6分ほどすると俳優佐々木蔵之介さんの実家。そこから3、4分ほど歩くと市電の千本丸太町の駅。そこで丸太町線に乗って、15分くらいで東山高校の最寄りの駅に着きます。以前は、卓球が強かった。本当に強かった。今は、サッカーですか。こんな素晴らしい選手があの東山高校から輩出されたのか。どこで練習をしているのか、一度見学に行きたいですね。

 鎌田大地選手!次回のコスタリカ戦もめちゃくちゃ応援しますよ。

 私らの頃(40~50年前)の京都のサッカーといえば、「紫光クラブ」が強く、良く応援したものです。京都教育大学のOBたち、即ち中学校・高校の先生方で組織化されたサッカーチームでした。その先生方が中学校や高校できちんとしたサッカーをお教えになっていたのです。私の高校時代は山城高校が全国的に強かった。釜本選手は私の隣の中学校から、その山城高校に進まれました。その頃の東山高校はそれほど強く無かった記憶があります。

 因みに、当時の京都で最も強いソフトボールチームは、「紫クラブ」でした。これもその選手のほとんどが京都教育大学の野球部のOBで、私はそのチームにアメリカ留学から帰国後、1年間所属し、投手で4番、全国大会で3位になった経験があります。今、京都のプロサッカーチームの名前は「パープルサンガ」。このパープルは、この「紫」からきています。

 サッカーを語っていても、最後は「野球・ソフトボール」に戻るのがこの「理事長からのメッセージ」。明日も、このサッカーワールドカップを通して、野球・ソフトボール・ティーボールを考えましょう。

 今日はこれにて、サッカーのクオーターバック(評論家)はオシマイです。