10月20日「松坂大輔選手が西武のメットライフドームで引退。 12月26日、全国大会に選手の激励に来てください。お待ちしています」

 平成の怪物、松坂大輔選手が昨日西武のドームであるメットライフドームで引退試合に臨みました。体調不良、右腕のしびれがありながら、高校卒業後プロの野球をスタートさせた地で最後の5球を投げました。昨日はテレビでその投球を観ましたが、その投球フォームは以前と変わらず美しい姿でした。お疲れ様でした。地元所沢のまたその周辺の東村山等の住民に多くの感動を与えて頂き本当におりがとうございました。とにかく凄かったです。

 松坂選手の活躍を振り返るとやはり一番最初の印象は、1998年8月20日、PL学園との17回延長戦。そしてその後決勝のノーヒット・ノーラン、相手は京都成章高校でした。これは私が京都出身。加えて、その成章高校の姉弟校京都明徳女子商業高校で教育実習を行った者にとっては、残念無念、でも敵ながらアッパレでした。 

 高校卒業後、1999年からは所沢の西武ライオンズに来ました。彼の為に建設したという寮は、私が毎日大学へ行く道の右横側にありました。彼がいるかなあ、第2球場で練習しているかな、と思いながら通勤したのをついこの間のように思い出します。

 所沢で夜ちょっとした食事会でお店に行くと、古くは東尾、田淵、清原、松坂、デストラーゼ、田邊、辻、炭谷らの名前が出ました。その中でも最も多いのは勿論松坂の名前です。彼はこの所沢でプロ野球選手として育ち、9年目の年に所沢のライオンズからボストンのレッドソックスに移籍しました。その移籍金も桁桁外れでしたね。

 ボストンはアメリカでは古い街、ハーバード大学があります。レッド・ロブスターがおいしいと以前紹介しました。京都とは姉妹都市、そんな関係で私は勝手に松坂選手を応援していました。2008年3月23日彼はレッドソックスのユニフォームを着て日本のマウンドに立ちました。相手はアスレチックス戦、ついこの間のように思いだします。

 2015年、彼が帰国して、ソフトバンクホークスに入団、同学年の和田毅選手と同じチームに。そこから彼の活躍はあまり聞かなくなりました。体調が思わしくないのか、肩が痛むのか、以前のような彼の雄姿が見られなくなりました。3年後、中日へトレード。2年間在籍して、昨年・今年と古巣の西武ライオンズに戻って来てくれました。所沢の人たちは皆大歓迎。お隣の町東京都東村山の人たちも同様です。

 ありがとう! 松坂選手は、所沢をとても有名にしてくれました。

 我々日本ティーボール協会は、西武の皆さんに大変お世話になっています。1995年8月1日「第1回埼玉オープンティーボール大会」は西武球場で開催しました。当時の西武球場は屋根がなく、子どもや女子高生や社会人らが大勢集まって大会を開催しました。球場をお借りする交渉では西武の皆さんから大変なご好意を頂きました。このことは絶対に忘れません。3年後1998年になって、近隣の東京オープンティーボール大会、神奈川大会、千葉大会を集め、この3県を軸にして、この西武球場の大会を、「全国小学生(3・4年生)ティーボール選手権大会」と名称を変更して、今日のような大会へとして来たのです。

 松坂選手が西武に入団したのが1999年。「第1回全国小学生(3・4年生)ティーボール選手権大会」がスタートしたのが1998年。皆さんもうお分かりですよね。我々の全国大会は、西武に在籍していた松坂選手と時を同じくして、スタートし成長して来たのです。勿論、この全国大会に出場した選手の皆さんは、この同じ球場で松坂選手が投げているのだ!と感動したのは言うまでもありません。この球場で日本式ティーボールを堪能し、西武球場に来たことを一生の思い出としていたのでした。

 結びに、松坂選手! 西武球場で、西武ドームで、全国大会に出場した選手たちに沢山の「夢」を与えて頂き誠にありがとうございました。引退後の更なるご活躍をお祈りいたします。

 12月26日(日)全国大会に出場する小学生の選手に激励に来てください。超ウエルカムです!お持ちしています!

 ―日本ティーボール協会役員一同より―