10月22日「オリックスの快進撃を観るたび、聞くたびに、大功労者種茂雅之元理事・顧問を思い出します」

 昨日のオリックスは本拠地最終戦において、西武を相手に3対2で勝利しました。オリックスファンには失礼ですが、この時期まで優勝争いに加わるとは、多くの野球評論家や野球ファンは想像もしていなかったのではないでしょうか。昨日は20歳の宮城大弥投手が好投、5回3分の2を投げ、5安打1失点で13勝目をあげました。東京オリンピックに選ばれてもよかったほどの成長ぶり。残す試合は、25日の楽天戦のみ。ここでの先発は当然日本のエース山本由伸でしょう。山本はすでに17勝。ご存じのように日本の真のエースとして先のオリンピックでは大活躍。最多勝、防御率、奪三振と投手としての三冠王はほぼ決まり。一方、打者では吉田正、現在右手首骨折で離脱中ですが、昨日の本拠地最終戦は、セレモニーで選手会長として突然現れ、ファンに感謝の言葉を述べました。ファンは今年の吉田は打率339、得点圏打率400、出塁率429これは圧倒的な数字、2位の森は309です。吉田がオリンピック日本代表の3番を打つのは誰が見ても妥当だと考えます。彼ら以外で目立って活躍しているのは杉本、打率302、得点圏打率は292と低いですが、本塁打は32本と桁外れ。これら4選手の活躍を誰が正確に予想できたか・・・。

 この大活躍を日本ティーボール協会関係者で最も喜んでいるのは誰か。私は種茂雅之さんだと思います。種茂さんにはこの日本ティーボール協会の創設期からの理事、顧問、参与等で各大会、セミナー、講習会の講師、役員会の出席等で多大なるご貢献を頂きました。

 種茂さんがオリックスの在籍されたのは1976年から2000年の24年間、協会を立ち上げたのが1993年、その時から協会に対しては様々貴重なアドバイスを頂き、そして、2000年オリックスを退団されてからは、理事としてそれはそれは多くのご貢献を頂きました。日本レクリエーション協会の評議員も日本ティーボール協会の代表として参加。日本ティーボールセミナーでは、1999年1月23日がデビュー。その時のテーマが「特別シンポジューム・『プロ中のプロ“ティーボール”を語る』」でした。講師は荒川博氏、池田重喜氏、種茂雅之氏、醍醐猛夫氏、谷澤健一氏、吉村正の6名。その司会者は、丸山克俊氏、鈴木悳夫氏でした。

 この演者の中でプロ野球野球界で名捕手として活躍されたのが、種茂、鈴木、醍醐さんの3人。この3人、スポーツ心理学を学びたいとおっしゃって私の研究室に数回お見えになり、我々の仲間のスポーツ好きの心理学者と私を交えてデスカッションを何回か行いました。その関係で、1993年日本ティーボール協会発足時からこの3人には様々な大会、後援会、講習会等でご貢献を頂いていたのでした。

 鈴木さんは清水東高校から早稲田、末次さん(協会初代専務理事)、岩浪さん(協会初代常務理事)の同級生で無二の親友、醍醐さん(埼玉県連盟初代副会長)はその一人息子が早稲田大学ソフトボール同好会(現在のソフトボール部)で私の教え子、1982年最初のアメリカ遠征の時の捕手兼三塁手、私は団長兼監督。その結婚式の仲人が荒川博先生。こんな繋がりです。

 さて、種茂さんはというと、とに角、美男子、東京6大学で立教が試合していると女子高生が試合を観ずにブルペン捕手の種茂さんを見に行くというのが有名な話。種茂さんはあの長嶋さんの2年後輩ですけど、長嶋さんと違った魅力あふれる神宮の花形選手でした。その種茂さんが、プロ野球の東映に入団。野球を辞めたときは即東映の映画のスターが約束されているとか、そんな噂が当初から出るほどの男前。

 1972年突然東映と阪急の間でトレード、東映は遊撃手大橋と捕手種茂、阪急は捕手岡村と遊撃手阪本の2対2。これ私にとってはとてもショッキングな出来事でした。4人とも現役のバリバリ、名選手同士の日本での初の大型トレード。この阪本敏三さんは私が平安高校に入学した年に彼は3年生、甲子園で大活躍。私は入学前の3月の春の甲子園から応援に行きました。確か甲子園で法政二高の柴田勲投手から4打席4安打を打ったと記憶しています。プロに入ってからも、パリーグでオールスターに選ばれていました。その尊敬する高校の先輩と種茂さんが交換です。私が当時から種茂さんをより意識したのは言うまでもありません。出身は進学校である静岡高校。賢いです。さすがにそのリードは見事なもの。その種茂さん、醍醐さん、鈴木さんと早稲田大学人間科学部の私の研究室で、時間を忘れての野球談議をしていたのでした。

 オリックスの快進撃を嬉しく思う時はいつも、日本ティーボール協会の大功労者、元理事・顧問の種茂雅之さんを思い出します。オリックス! CSも頑張れよ!!