10月27日「東京ヤクルトスワローズ優勝。ヤクルトスワローズ初代監督は日本協会副会長だった荒川博先生。おめでとうございます!」

 昨日ヤクルトがDeNAに5―1で勝ち、優勝を決めました。昨年が最下位の6位、今年はどのようになるかとても心配でしたが、見事にセリーグを制しました。今日は朝日新聞と日刊スポーツを自宅で読み、協会に来る途中に産経新聞とサンケイスポーツを買いました。日刊スポーツの見出しを追いますと「ヤったあ」「高津監督『一枚岩』」「6年振り8度目の昨年最下位からの下剋上」が一面。あと2,3,4面までがヤクルトの記事。

 一方、サンケイスポーツは、「優勝 高津ヤクルト」「恩師の言葉胸に這い上がり 就任2年目 万感5度舞い 天国の野村さんにV届けた」が一面の見出し。そして、2,3,4,5,6面と最終面までがヤクルトの記事です。なぜ、ヤクルトの記事が日刊スポーツより多いか分かりますか。

 ヤクルトの前身を知るとこの件は容易に理解できます。先ず、ヤクルトの前身は1950年に結成された国鉄スワローズ、あの400勝金田正一投手を輩出したチーム。昨日書いた醍醐猛夫さんの早実のチームメイト徳武さんもこのチームの4番打者。そして、1965年経営権が産経新聞社に移り、サンケイスワローズとなりました。その後、サンケイアトムズ、ヤクルトアトムズを経て、1974年からヤクルトスワローズとなったのです。その時の初代監督が我らの荒川博先生。その後、1978年は広岡達朗監督の下で初優勝されました。産経新聞とサンケイスポーツがヤクルトの記事を多く書くのは、このような歴史があるからです。

 その頃の話は、荒川博先生からよく聞かされました。「僕が監督になった時、コーチに大学の後輩の広岡と沼沢を呼んだ、それを川上さんに報告したら、『バカ!身内ばかり集めてどうする気だ』と怒られた」。「川上さんは巨人軍が勝つための組閣をするときは、作戦コーチは『中日』で『明治OB』の牧野、打撃コーチは『毎日』から『早稲田OB』の荒川、投手コーチは『滝川高校』の別所。いいか、このように『学歴、新聞社、地縁』と全てにバランスを取らなければならないのだ」と教えられたと。成[1] 程と納得する私がそこにはいました。

 さて今日のヤクルトスワローズ、オリンピックで活躍した山田、村上、それにベテラン青木と人物・選手が揃いました。遅咲きの塩見も見事でした。「代打の神様」川端慎吾もよく頑張りました。通算打率372、これ凄すぎです。妹さんは埼玉アストライアの主軸打者として活躍、日本協会の「特別公認指導員資格」を持っています。全国小学生ティーボール選手権大会、日本ティーボールセミナー、関東周辺での講習会では、我々と共に野球の底辺拡大の為に活動しました。彼女がお兄さんが活躍する神宮で女子プロ野球選手としてプレーした時は、お父さんも和歌山から駆けつけて応援していました。この優勝、お父さんも妹さんも大喜びでしょう。

 投手陣もシーズン前の予想に反して後半尻上がりに良くなりました。昨日は高梨先発、石山、田口と繋いで6回から高校の後輩高橋奎二がリリーフ。嬉しいやら、心配やら、よく投げました。清水、マクガフまでよく繋ぎました。6人の投手がそれぞれが役割をきちんと果たし、勝利投手は高橋で4勝目。素晴らしかったです。

 ヤクルトがクライマックスシリーズを勝ち抜いたら、日本シリーズは神宮ではなく、東京ドームだそうです。これは、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、ポストシーズンが当初の予定より1週間遅れたため、アマチュア野球の明治神宮大会と重なり、本拠地の神宮球場が使用できなくなった。とのこと。これも、このヤクルトが優勝するなんて、春先、多くの人が予想もしていなかったからでしょうか。ヤクルトファンにとっては、優勝で楽しいやら、嬉しいやら、本拠地でヤクルトを観れないのは残念やら、複雑な気持ちでしょうね。

 ヤクルトスワローズは、日本協会副会長を長らくお勤め頂いた荒川博初代監督のチーム。今晩は、日本協会のメンバーとして、天国の荒川博先生と共に祝杯をあげましょう。

 東京ヤクルトスワローズ! おめでとうございます! 乾杯!!


 [1]「なるほど」を漢字で表記する場合は「成る程」が一般的みたいです。