10月31日「オリックス26年振りの日本一。中島監督、宮内オーナーの笑顔も日本一でした。次に考えることは野球の底辺拡大です。」
今日は10月31日。恒例になりました今月の万歩計の総数は、326,912歩。一日平均は1万歩を超えました。本日の歩数は15時40分現在で7,975歩です。帰宅するためには、最短距離を歩いて約3000歩。今日も確実に1万歩を越えることになります。ノルマ達成です。ボケ防止を兼ね「理事長からのメッセージ」を書き、頭を使い、一万歩を歩き、身体を刺激する、これが今の私の健康法です。
さて、先週のスポーツの話題は、なんと言っても野球の日本シリーズ。昨日はその第7戦でした。結果は5-4でオリックスの勝利。私は昨日の試合が今年のプロ野球最後の試合となるのではないかと思い、3回からしっかり観ました。5回にオリックスが4点を取ったケース、宮城選手の三塁手横のバントヒット、続いて太田選手の投手横三塁手前のバントヒット、この二つの内野安打は全てに村上三塁手が絡んでいるプレーです。村上選手を初め、誰が悪いというプレーでは全くありません。極めて不思議なバントヒットが続きました。そして、その後の杉本選手が打ったセンターへの打球も、名手塩見選手が結果的にはエラー、捕球時に照明か何かの光にでもボールが入ったのか、テレビを見ている限りでは分かりません。これが走者一掃の一撃(三塁打ではなくセンターのエラーと記録されました)となりました。これで、このシリーズのMVPは杉本選手に。
オリックスの優勝後、私が最も注目したのは、中島聡監督(53歳)と宮内義彦オーナー(87歳)の顔。私は今、この日本協会でマネジメント能力を必要とされる立場にいるものですからお二人の顔、表情にとっても興味があったのです。
中島監督は勝利が決まるまでは、ベンチでマスクをしながら表情をめったに崩さないで、難しい顔をされていました。5回4点を取って5-0。思いっきりの笑顔を見せればいいのになと私は思っていましたが、全くのポーカーフェース。それが、優勝が決まった瞬間、マスクを取って満面の笑みです。やっぱりめちゃくちゃ嬉しかったのでしょう。一気に喜びが顔に出ていました。中島監督はやっぱり人の子、人間やーと思いました。
中島監督は、大阪生まれの大阪育ちではありません。オリックスの前身は、阪急と近鉄です。両方の鉄道は近畿地区の人たちにとっては、とても重要な私鉄です。選手も大阪周辺の出身者が多いですし、監督も。中島監督は、皆さんご存じのように東北秋田県の出身、鷹巣農林高校から1986年捕手として阪急に入団、独特の風土がある大阪で仲間や先輩から、信頼・信用を得るのは大変なことであったと思われます。退団後、97年に西武、03年に横浜、04年に日本ハム。いわゆる武者修行をあちこちでなされました。そして、46歳の15年に現役引退、実働29年でした。
この中島監督の球歴を知っていたものですから、私はどうしてもこの日本ティーボール協会の創設期の大功労者、鈴木氏(元東映ー日本ハム・プロ野球界在籍約35年)、種茂氏(阪急ーオリックス)、醍醐氏(大毎ーロッテ)等の名捕手を思い出すのです。この3氏と私は、大学の研究室でどれほど多くの野球談議をしたことか。3氏は捕手出身、聡明で、指導力があり、洞察力も抜群で、学ぶことが多くありました。中島監督はこの3氏と多くの部分で重なるのです。
捕手で、苦労人が脚光を浴びる姿を見せてもらうのは、とても楽しいことです。
先日、宮内オーナーのことをこのコーナーで書きました。前回はパリーグ制覇、今回は日本一優勝。この瞬間に対し、どのような表情でおられるのか興味津々でした。中島監督の胴上げが終わった直後、テレビに満面笑みの宮内オーナーの姿が映りました。胴上げを見たいと思ったら、その間テレビは「今日の試合のダイジェスト」だって。残念! 宮内氏の胴上げは観られませんでした。
本日の日刊スポーツを読むと4面に良い記事が掲載されていました。それは息子さんからのメッセージです。見出しは「オヤジ、お疲れさま‼」その内容のキー・センテンスを紹介します。「うちの父の趣味は野球、クラシックの音楽、読書」「父は昔、会社で草野球のチームをつくり『エース』だと威張っていました(笑い)」「父に連れられて、当時の後楽園球場、川崎球場、神宮球場、横浜スタジアム・・・、本当、よく行きました。」「観戦から父が帰った瞬間、オリックスが勝ったか負けたかが分かりました。表情と空気感で全部わかるんですよね(笑い)」「兄も姉もオリックスを応援しています。僕は父がオーナー職を退いても、ずっと応援を続けると思います。もう30年以上もオヤジに付き合ってきたわけですからね(笑い)」等です。
宮内オーナーだけでなく、一家でオリックス並びに野球全体を心から愛されているのが、こちらに伝わってきます。実は私の吉村家も、似たような感じでした。父が巨人ファン、長兄が南海ファン、次兄が阪神ファン、私が西鉄ファン。オールスター戦と日本シリーズになると父と次兄がタッグを組んでセントラルリーグを応援する。長兄と私はパシフィックリーグを。戦が終われば、親子、兄弟です。勿論ノーサイドで野球談議。
宮内家、吉村家、こんな家族は以前多かったのです。
10月29日、常務理事の吉永先生から愕然となるメールを頂きました。それには「昨日大学の授業で、プロ野球の日本シリーズが開催されていることが話題になり、どのチーム同士が対戦しているかを尋ねたところ、25パーセントしか回答できませんでした。改めて、野球に対する認知度の低下が進んでいることを身近で実感させられました。ティーボールの活動などを通じて、ベースボール型への興味の高まりを持たせることができればと思っております。」と。
浮かれている場合ではありません。中島監督の野球マネジメントは、様々な職場、地域社会、学校、家庭で共通します。勉強になります。また、宮内家のように26年間オリックスの優勝を願って、加えて、もっと大きく日本野球界全体の繁栄を願って応援し続けた一家もあります。このような家庭を増やすこと、今一度以前のように一家で野球を楽しませること。 これが、吉永先生がおっしゃるように、我々日本ティーボール協会役員たちが行わなければならないことでしょうね。皆さん、今まで同様頑張っていきましょう!
さて、日本シリーズが終わり、コロナ禍前であれば、社会人野球の日本選手権大会(日本シリーズの余韻が残っている京セラドーム)で「親子でチャレンジ・ティーボール教室」だったのですが・・・。このコロナ禍のため3年間開催することができません。環境が整うまで待ちましょう!
本日、今年の日本シリーズが終了した段階で、勝敗のみを考えるのではなく、中島監督から野球のマネジメント、そして宮内一家からは「野球愛」、そして吉永先生からは、今一度、野球の普及、日本式ティーボールの魅力、これらを熟考していく等を学びました。
野球について、様々考えさせられたこの週末でした。今日はすでに夕方になりましたが、マンデーモーニング・クオーターバック(月曜日の朝のスポーツ評論家)でした。