12月8日「この一週間の報告です。京都府宇治市へ、栃木県真岡市へ、プロ野球OBクラブの理事会へ。そして全国大会への準備です」

 5日ぶりで「理事長からのメッセージ」をお届けします。7日前の1日は京都でした。そこでは約2年振りで、実家の仏壇の前で、ご先祖様に対し、このコロナの状況と家族の近況を報告し、更に、今日の社会においては、1日も早いコロナの収束をお願いしてきました。皆さんの気持ちと同じです。

 2日は、前回報告した小西美加先生の幼児&小学1年生のためのDVD撮影。

 4日が早稲田と学習院のソフトボールの定期戦。この定期戦は昭和41年から始めたので、今年で57年目になります。当時の学習院大学の監督が斎藤先生29歳、早稲田の2年生主将が私で19歳、この二人の間でこの定期戦を始めました。斎藤先生は朝9時には早稲田のグラウンドにお越し下さり、9時30分からの開会式にて、スピーチを頂きました。試合終了は12時30分でしたので、試合の所要時間は2時間45分、その間齋藤先生と私は、その試合の感想を述べあったり、昔話をしたりと、素晴らしい時間を共有しました。この定期戦も2年ぶりの開催でした。

 5日は私の父方の実家である栃木県真岡市寺内に行き、そこでも荘厳寺にてご先祖の墓参り。京都と同じように、家族の近況報告とコロナの早い収束をお願いしてきました。行きの東北線の電車は、日曜日ということもあり、一車両に客が5,6人と少なかったですが、帰りは、小山で新幹線に乗り換えると、空席はほとんどなく満員。自由席でしたので密が怖いので、デッキに立って帰って来ました。小山ー大宮間は20分ほど、全く苦になりませんでした。途中上三川町を通り、その町の町長だった猪瀬さん(日本協会参与)を思い出しながらの帰京でした。

 6日は、夕方皆様とお会いしたズーム会議の役員会。その会議に至るまでに、全国大会の冊子の割り付け、校正、広告のお願い、対戦表の確認、タイムテーブルの最終確認、諸々のことを整理して、夕方の会議に臨みました。役員会は、約35人の出席者があり、山形の山川さんが初めての参加。南では、徳島の天羽先生、香川の佐野先生、中国地方では、広島の榎本さん、東海地方では、愛知の平松さん等、全国から理事・評議員の参加でした。会議では、26日に開催の全国大会、そして来年1月15日に開催を予定しています「日本ティーボールセミナー」についての審議や報告が中心議題でした。詳細については、またの機会にご報告いたします。

 7日は、女子職員と全国大会の役員名簿の作成、打ち込み。その他、印刷所との連絡、それに全国大会にご後援を頂く関係各社との電話打ち合わせ、その合間に、全国から、全国大会のルールについての質問、対戦相手は決まりましたかという問い合わせ、用具の注文、日本協会の役員からは、当日着るウェアの注文、宅急便の手配、まだまだあります。全国大会前は忙しいです。

 今日8日は、小西さんが事務所で大活躍。今年の会費を、うっかりして納入していない仲間に、再請求の依頼文、住所のラベル張り、切手貼り。私もその関連作業にぶつぶつ文句お言いながら、お手伝い。そこで、印刷所からは、紙ベースのゲラが上がりましたので、明日宅急便でお届けします、とのこと。

 でも待てよ、明日は都内に出かけます。それは、今年に入り2回目、3月31日以来8ヵ月ぶり。プロ野球OBクラブ(八木澤会長)の理事会出席のためです。会場は錦糸町。12月3日の「コンプライアンス委員会」はズームで会議に出席したのですが、今回は対面、思い切って「出席します」と返事しました。

 今日この後、10分ほどすると稲門体育会常任委員会が始まります。前回までは、オンライン会議でしたが、今日は対面。これも2年振りです。私は臆病ですので、今日の夜18時からの会議で、都内(早稲田大学)に行くのは怖いので、「欠席」とさせてもらいました。

 皆さん、以上のように、東京もようやくあれこれと動き始めました。何やら嬉しいやら、怖いやら、複雑な気持ちでいます。でも、確実に一歩ずつ前に進み始めています。このコロナの小康状態が続くことを願っています。そして、皆さんと一緒になって、12月の全国大会を成功させたいと思っています。

 今日は、私と協会事務所のこの一週間でした。