4月9日 入院生活での食事を通して、小学校時代の学校給食と中学校のときの「心臓脚気」まで思い出しました。

 退院してから、数人の方から「病院の食事は如何でしたか」と質問されました。その度に私は、「とても美味しかった。栄養のバランスを学ぶいい機会になりました」と答えています。26日間の入院生活中、食事を残したのは1度だけ。それは前回書きましたが、入院当日の14時頃に、病院近くの寿司屋で腹いっぱい食べたため、さすがにその日の夕食は少し残しました。翌日からの25日間は全て完食。

 ここでは先の病院食、そして私の頃の小学校給食を振り返ってみます。

 病院食では、鶏肉とブロッコリーがよく食卓に並んだなーというのが最初の感想です。私は昭和20年の酉年生まれ、鶏の卵は大好物ですが、鶏肉はあまり好きではありません。学生には「共食いはしない」とよく言っています。ブロッコリーも1個や2個は美味しいのですが、沢山出ると遠慮します。とはいえ、出たものは全て完食。

 私の子供時代は、戦後物がない時代で、あれが美味しい、これが味ないなどと言える時代ではありませんでした。自宅で食事を頂くこと、また、小学校の給食がどれほどありがたいものか、誰よりも知っています。現在でも、食事に関して文句を言ったことはありません。

 中学校時代は給食がなくなったため、栄養が体内に行き届かない時がありました。私が3年生の時、栄養失調で歩けなくなったことがありました。次兄の背中に乗り、病院に担ぎ込まれたのです。脳からの発信で脚を動かすはずが、お医者さんが膝の下を三角形の金棒でトントンと叩いても、脚が上方へポンと跳ね上がらないのです。そのお医者さん曰く、「心臓脚気」。体の成長が著しく、栄養が追い付かなかったと説明。

 この時ほど、小学校での給食のありがたさを感じたことはありませんでした。今回の入院で65年前の古き時代を思い出しました。

入院中は、朝食は8時、昼食は12時30分、夕食は18時ジャストです。入院当初は3食白米のご飯が出ましたが、栄養科の方にお願いして、朝食だけ白米をパンに変えてもらいました。そしたら胃が楽になり、昼食が更に美味しく頂けるようになったのです。

食事を制限される時がありました。特殊な採血を行うときや検査等があるときです。入院で最も困ったのは、便秘です。快調に食事を頂いていても、トイレを考えると憂鬱です。家内が面会に来る時にお通じに良いと言われる「ごぼう茶」と「プルーン」をお願いしたのですが、効き目は薄かったです。自宅では効果があるのですが・・・。

3月9日は、第1回目の退院の日でした。その日は朝食から何と赤飯が出ました。そこには、「吉村正様 ご退院おめでとうございます。今後のご多幸とご健康を心よりお祈り申し上げます。食事について何か分からないことがございましたら、当院栄養科までお問い合わせください。栄養科」。

これは心中複雑でした。その8日後に再入院、そして18日には集中治療室での手術が決まっていたからです。「真の退院ではではないよな。日本ティーボールセミナーの下準備だもんな。」と心の声。

でも、3月26日2度目の退院の時は、上記と同じ内容のカードを頂きましたが、何と嬉しかったことか。今でも私の入院日記の大学ノートには、このカードを貼り付けてあります。栄養科の皆さんのお気持ちがこちらに伝わってきました。お世話になりました。ありがとうございました。

本日の「理事長からのメッセージ」は、入院生活の食事と小学校時代の学校給食のありがたさを書きました。