6月12日 中国編③ 陳先生、「第14回日本ティーボールセミナー」(2007年1月)でデビュー。そこから中国では加速度的に普及。陳先生のお力によるところ大です。

 6月9日、私は陳先生に一通のメールを送りました。その内容は、「1.児玉さんの紹介で、名古屋でお会いした年。2.早稲田大学人間科学部私のゼミに参加された年。3.人間科学部総合研究所の研究員になられた年。この3点を教えてください」と。

 翌日の6月10日、多分北京からでしょうか、返事がきました。そのタイトルは、「若かった」です。陳先生はユーモアがあります。「1.2004年、児玉さんの紹介で名古屋で会いました。2.3については、2005年早稲田大学の招聘研究員になりました。この年にその後、“笑顔いっぱいティーボール”を中国語に翻訳し、普及活動を始めました。これは中国のティーボール普及に計り知れない貢献でした」と。

 この「児玉さん」とは、故児玉正勝元日本協会評議員のことです。彼は、愛知県連盟創設をお願いした吉田勝光先生と共に、東海地区代表ならびに本協会の中心人物として活躍くださった先生です。現在の愛知県連盟の専務理事である平松日本協会理事の恩師でもあります。彼が本協会創設期の頃から、早稲田大学国際会議場で開催していた“日本ティーボールセミナー”に、毎回お越しくださいました。児玉先生は、愛知県だけの普及にとどまらず、先生のネットワークで、岐阜県、静岡県とこの日本式ティーボールを広めてくださったのでした。

 その児玉先生は、アジア少年野球の普及にも全力投球されていました。その関係から、愛知県で大学の先生で、少年野球に興味をお持ちだった陳先生と懇意になられていたのでした。2004年10月、その名古屋でのティーボール連盟、少年野球を代表される方々が集まる席で、児玉先生が私に陳先生を紹介してくださったのでした。確かその時、元中日ドラゴンズで活躍した河村保彦氏も同席されていました。

 さて、陳先生が日本ティーボール協会において、本格的にデビューされたのは、2007年1月20日に開催された「第14回日本ティーボールセミナー」でした。その時のセミナーのテーマは、「ティーボール・フォー・オール」。基調講演①は、荒川博副会長の「野球からのアプローチ」、基調講演②は、私の「ソフトボールからのアプローチ」。フリーディスカッション2では、「各連盟からの取り組みについて」、そこで陳先生は、南山大学講師という肩書で、「中国からの報告」として発表してくださったのでした。

 その発表の内容は、「2004年10月、児玉さんより吉村先生を紹介してもらい、先生より、教材、規則書、ビデオ等を頂き、ティーボールの楽しさ、柔軟さ、遊びの広さを実感しました。そこで、2004年最初に北京、山東省、重慶の3か所に用具と資料を送りました。そこからこの2年の状況を報告します。北京では、17か所の小中学校の体育の先生を集めて紹介しました。重慶では、中学校3校、小学校6校で、取り入れて頂きました。(中略)2008年北京オリンピックでは、スポーツ産業、教育に発展にとてもいい機会になると思います。全国の2億人の小学生に向けて広げていきたいと思っています」と、このような報告でした。尚、この発表の全文を読みたい方は、「第14回日本ティーボールセミナー冊子」をご覧ください。

 この発表の1か月前の12月15日は、ジョージ・ブッシュ(父)大統領が同じく早稲田大学にお越しになり、そのスピーチの中で数回ティーボールの話をして下さったのでした。大統領からサインもいただいています。それは協会事務局に大切に保管しています。いつでもお見せ出来ます。

 そうです!この年から、日本式ティーボールをアジアへ、世界へ発信し始めたのです。私達が「アジアティーボール連盟」を創設する、3年前のことでした。

 陳先生と私は、お会いしてすぐに意気投合したためか、陳先生が私の大学のゼミに参加したいということになりました。私はその提案に、最初は半信半疑でした。野球やソフトボール、ティーボールと私のゼミの「健康福祉マネジメント」とは少し分野が異なっていました。でも陳先生の決断は変わりません。私は彼女を聴講生として受け入れることにしました。

 4月の授業開始から、毎週月曜日の午後、90分授業が2コマ続きの180分、長いです。名古屋から所沢まで、時間的にも、物理的にもそれは難しいのでは…と考えたのですが、陳先生は、1年間無欠席、皆勤でした。そして優秀な成績、また、戸田中央総合病院の見学実習、健康福祉の大会のボランティア、日本ティーボールセミナーへの参加、原稿起こしという裏方の仕事も、見事に務められました。

 2010年4月、私は先生のその熱心さと情熱と迫力、体力と根性に圧倒され、早稲田大学人間科学部総合研究所(人総研)の研究員に抜擢しました。この件、教授会で承認され、それを陳先生に報告すると、殊の外喜んでくれました。そこから、更に陳先生の中国でのティーボール、スローピッチ・ソフトボール、野球とへの普及活動が勢いを増したのでした。

 2010年アジア連盟を創設して以降、中国での爆発的な日本式ティーボールの普及、その中国を軸にした、東アジアでの加速度的な普及、これらは陳先生のお力を抜きにして考えられないことなのです。

 改めまして、陳兆麗先生には、感謝・感謝。

 一歩一歩「アジアティーボール連盟」創設に向けて、ことは運んだのでした。