7月6日 鈴木誠也がランニングホームラン。中村剛也選手が1955三振の日本新記録。彼の「師」は我らの田邊徳雄協会顧問
今日の日刊スポーツ一面トップは、鈴木誠也選手のランニングホームラン。私も昨日のスポーツニュースで、ブルワーズの左腕ヘイダーから左中間フェンス直撃の一打を観ました。フェンスがアーチ型でなく、独特の形状であったため、中堅手がクッションボールの行方を予測できず、ランニングホームランになりました。誠也選手もよく走りました。ベンチに帰って来た誠也選手に対して、ベンチの「仲間」の歓迎は、いかにもアメリカらしく明るく、笑顔で、最高。オーバーフェンスと一味違うランニングホームランの味がそこにはありました。
日本人メジャーリーガーで、ランニングホームランを打った選手は過去3人います。イチロー選手が、オールスター戦で打ったのは、日本でも何十回と再放送されています。あまりにも有名です。それ以外では、ニューヨーク・メッツにいた松井稼頭央選手、いわゆるリトル松井と、ブルワーズにいた青木宣親選手です。いずれも日本を代表する名バッターばかりです。鈴木誠也選手、笑顔で、昨日は、お疲れ様でした!
さて今日は、もう一つビッグニュースがあります。中村剛也選手、別名おかわり君による「通算三振1955個」の日本記録が生まれました。これは間違いなくスラッガーの勲章です。今までの日本記録保持者は清原和博選手で、彼と並びました。
2、30年前の野球界は、豪快なスイングをして空振りをすると、監督やコーチから「お前!何を大振りして!」と怒られたものです。シャープにジャストミートして、ヒットを打つ。これが求められたのでした。ヒットの延長線上にホームランがある。これが常識と言われていました。今はかなり変わってきました。日本においても、監督やコーチが選手の個性を大切にしてくれます。柳田選手、山本選手、村上選手、山田選手、坂本選手、岡本選手らは、バットをしっかり振って、且つジャストミートしようと試みています。
この「大振りするな!」の常識を誰よりも早く破った名選手は誰か、それは上記の清原和博選手でした。清原選手の通算ホームランは525本。中村選手は446本。因みに3位はなんと元中日の谷繁捕手、これちょっと意外に感じるのは私だけではないでしょう。4位は同じく中日の山崎選手で、彼については納得です。5位は元西武の秋山選手と続きます。1位から5位迄に西武に在籍していた秋山選手、清原選手、中村選手の3人がいます。そこで私が気付いたのは、「田邊徳雄氏」の存在です。
今日の日刊スポーツを読んでいると、やはり田邊徳雄氏の名前が出ていました。小見出しは、「長所を伸ばすため」、そしてその記事の内容は、「三振を恐れない―。そのスタイルにたどり着く、指針を与えてくれた師がいた。入団1年目から2軍のコーチとして指導を受けた田辺徳雄氏(現2軍野手特命コーチ)だ。同氏は、当時を回想する。『三振に関しては、何も言わない』誰にでも、そう指導するのではない。中村の類まれなる才能を感じ取っていた。1年目のキャンプが終わった春。ロングティー。2軍練習施設である『西武第2球場』の左翼後方のあるネットを軽々と超えて行った。高校を卒業したばかりで、そんな選手はかつて見たこともなかった。『飛距離は驚いたね。力を入れなくても上がったときの打球はすごかったから大事にしたかった。率を残そうと思えば、出来るんだろうけれど、飛距離、本塁打にあまり魅力を感じなくなってしまうかもしれない。とにかく1年目は本塁打にこだわって欲しかった』。欠点をなくすより、圧倒的な長所を伸ばす。そう信念を持った指導を受け、それが中村の礎になった。そして両極端なスケールの大きな打者に育った。三振の多さは、生き様でもあった。(上田悠太)」とありました。
稀有のスラッガー西武中村剛也選手の「師」が、そうです、我らの田邊徳雄氏。日本ティーボール協会顧問、元理事です。日本ティーボールセミナーでは、スペシャルゲストで登壇して頂いたこともあります。見事なスピーチだったのは記憶に新しいところです。また、西武ライオンズの監督を終わられた後も、全国小学生ティーボール選手権大会㏌西武ドームでも特別参加で、開会式をより充実したものにして頂きました。「日本式ティーボール」と「日本ティーボール協会」の最大の理解者の一人です。
田邊氏の早稲田大学人間科学部での卒業論文のテーマは、「プロ・アマ野球システムに関する研究」でした。指導教授が私、教育コーチとして論文等で様々アドバイスをしたのが、日本協会田島理事(現在大阪経済大学准教授)です。この3人が寄れば、野球談議は止まりません。時間を忘れます。「育成システム・戦術・個人的な技術指導、集団指導、チームマネジメント」。そんな理由で、卒論の成績は最高得点。当時西武ライオンズのコーチを務めながら、それは見事な論文を書き上げられました。
夏休みのゼミ合宿では、通常、私の生家のある京都で行うのですが、田邊氏が西武の2軍の打撃コーチだったので、京都はいけません。そこで、所沢から通える場所、早稲田大学軽井沢セミナーハウスで行いました。当時西武ライオンズはアーリーワークとして、朝6時から12時頃まで所沢の第2球場で第2・第3の中村選手を育てるために指導が義務付けられていました。それが終わって午後3時頃、軽井沢へゼミ合宿(研究発表Q&A)に合流されました。そこから夜9時頃まで現役学生と6時間の激論、その後所沢へ帰宅。明日6時からの朝練に間に合わせるためです。翌日朝6時から12時頃まで再び熱血指導。そしてまた軽井沢へ来られるのです。この田邊氏の姿勢に、若い現役で入学した学生は、「プロの凄さ」に驚嘆しました。どれほど凄い、良い影響を若い学生が受けたか、皆さん、想像が出来るでしょう。
10年前、ソフトボールの大嶋君をプロ野球界へ送る時も、私の眼だけでなく、王選手の打撃コーチであった日本ティーボール協会副会長の荒川博先生に神宮のバッティングセンターでご指導を受け、先生から「プロ野球界でも通用する」というお墨付きを頂きました。実はその後、私は現役の打撃コーチであった田邊氏にお願いして、彼のバッティングを見てもらいました。「先生!彼の実力はプロでいえば『中の上』、いけます」この一言で、大嶋君をプロ野球界に送ることを確定させたのです。
今日は、鈴木誠也選手、中村剛也選手、二人の印象深い記録を紹介しました。名選手の横には最高の「仲間」と「師」がおられます。