8月23日 コイケ先生と私(その3)。1982年早稲田大学ソフトボール同好会初のハワイ遠征。お世話くださったのがコイケ先生。選手団の数人が、この日本ティーボール協会の重鎮に!

 1982年3月13日から24日迄の11日間、早稲田大学ソフトボール同好会は、早稲田大学創設100周年を記念してハワイ遠征を行いました。この記念すべき年に、私は恩人のコイケ先生にまず「ハワイ遠征」を相談、コイケ先生は快く「OK」して下さったのでした。ハワイでの全行程において、コイケ先生は同行。その遠征団の団長兼監督は私でした。

 目的は、本場のアメリカのソフトボールをファーストピッチとスローピッチの観点から真のソフトボール「(競技としてのソフトボール)と(いつでも、どこでも、誰でも、笑顔で楽しめる球技)=(将来の日本式ティーボール)」を学習しようとするものでした。加えて、この遠征は、大学に「早稲田大学ソフトボール同好会」を、「体育部」として認めて頂くための一大デモンストレーションでもありました。

 この遠征団の選手15名は、11年後に設立する「日本ティーボール協会」の重要なメンバー達だったのです。この遠征団の主将は、現在「日本ティーボール協会」監事の堀籠氏(現在埼玉りそな産業経済振興財団)。主務の大川氏は、現在岩手県選出の評議員(現在岩手大学教授・専門は教育学)。次年度主将になったのは評議員の醍醐氏(現東京医科大学理事・東京医科大学病院事務局長)。彼ら以外では、2009年1月に小学校体育の教材として「笑顔いっぱいティーボール」を刊行した時の主要執筆者である内田圭志先生(石川県選出の評議員・現在小学校校長)と加藤明広先生(千葉県選出の評議員・現在小学校教諭)等がいたのです。

 遠征先は、ハワイ8島の中で、オアフ島、マウイ島、ハワイ島を選びました。それはこの3島には強いファーストピッチのチームがたくさん存在したからです。最初の訪問先は、コイケ先生の地元であるオアフ島。そこでの対戦相手は、私が1969年、1970年、1971年に所属した強豪ジョリー・ロジャース(遠征当時のチーム名はパイレーツ)。結果は5対14で敗戦。まだまだ昔の私のチームは強かった。試合会場は「マキキ球場」、別名「カートライト球場」。この球場は、あの「ベースボールの父」と言われたカートライト氏の名前からきています。カートライト氏は晩年、本土から温暖地、ハワイ州で過ごされたのでした。コイケ先生も私も、「最初の国際試合はこの球場(ソフトボール場兼リトルリーグ野球場)で!」ということに拘りました。

 次の遠征先は、マウイ島。ここでもコイケ先生の紹介で、日系米人ケンジ・カワグチ氏にお世話になりました。試合は12インチ・ファースト・ピッチ・ソフトボール。相手チームはマウイ・ブレーブス。彼らは全員がポルトガル系の人たちで、ハワイ語でいうとハオレ(コケイジョンの意味)でした。この試合結果は、7対5で早稲田の快勝。時差ぼけも解消し始めましたからでしょうか。

 このようにマウイ島でのことを書いていると、その時相手してくれた選手達は、この「山火事」でどうされているだろうか?お元気だろうか?とても心配です。思い出します。良い選手、良い人たちばかりでしたから。

 最後の遠征先は、ハワイ島。ヒロ市とコナ市で行いました。ヒロ市では、試合前から雨が断続的に降っていましたが、それでも試合は強行。観衆も選手も納得したところで終了。3回まででした。その後は夕食会と懇親会。英語や日本語やボディーランランゲージで良い思い出を作らせていただきました。選手達は、校歌や人生劇場を披露して、親善使節団としても見事な役割を果たしました。ここでのお世話くださったのが、コイケ先生のヒロ・ハイスクールの同級生、タナカ先生、現職の検事さんでした。

 ヒロ市からコナ市に向けてパーカー牧場を横断。コナ市は、コナ・コーヒー、コナ・サンセット、コナ・トライアスロン、はたまた、キャプテンクックが到着した港としても有名です。そこではナイターで、セントラル・アスレティックチームとファーストピッチの試合。観衆は、約500人とスタンドは超満員。物凄い盛り上がりでした。結果は5対0で早稲田の勝利。その翌日に、オアフ島へ戻りました。

 オアフ島では、スローピッチを経験。「いつでも、どこでも、誰でもが楽しめるソフトボール」を経験するためでした。相手はA・J・A野球・ソフトボール世話人団の特別チーム。12インチと14インチを使用してのダブルヘッダー。

 この遠征の1年前に「大学スローピッチソフトボール研究会」を、東大、東京理科大、早稲田大でスタートさせていましたので、とても良い経験、勉強になりました。実にタイミングが良かったのです。

 このような経験をした15名の選手は、「ソフトボールは、競技性の楽しさに加えて、大勢の人達が、狭い場所でも、笑顔で、楽しくプレーできる球技」と理解してくれたのでした。この学生達の何人かが、先述したように、現在の日本ティーボール協会の中心にいて活躍してくれています。彼らのベースボール型(=ソフトボールとティーボール)に対する正しい認識は、今大学で競技としてプレーしている部員達に、間違いなく浸透しているのです。だから、現在の部員達も、「全国小学生ティーボール選手権大会」のボランティアを、心を込めて行ってくれるのです。このようなきっかけを作って下さったのがコイケ先生でした。

 この「理事長からのメッセージ」でコイケ先生と私の付き合いを書かねばならないと判断したのは、以上のような歴史があったからです。続く!

 さて、今年の高校野球、KEIOが優勝しましたね。この「理事長からのメッセージ」を書きながら、テレビを観ていました。KEIO高校!107年振りの優勝おめでとうございます。エンジョイ・ベースボール!日本式ティーボールと通じるものがあります。明日は、ハワイシリーズは一休み。今日のKEIOと仙台育英の試合を書きます。これまた、宜しく!