8月6日 広島原爆投下の日 30年間朗読の吉永小百合さん、オリンピックは川井姉妹で「金」 池田、山西「銀」と「銅」 空手清水「銀」
今日は、1945年、広島に原爆が投下されてから76年目の日。東京オリンピックでいうと前回大会の最終走者坂井義則君が広島で生まれた日。同様にこの年生まれた吉永小百合さんは、30年にわたり反核の詩を朗読してきました。それに、ついでの私もこの年生まれ。3人は早稲田大学の同窓生。今日広島市中区の平和記念公園では平和式典が開かれます。今日は、戦争と平和、あるいは原爆、原子力発電等について様々考える日です。そして、オリンピックも。
さてそのオリンピックはというと、川井梨紗子2大会連続「金」、姉妹で「金」、男子20キロ競歩・池田「銀」山西「銅」、空手・清水「銀」、卓球女子団体「銀」、ボクシング男子フライ級・田中「銅」。中でも川井選手57キロ級での「金」はとても印象に残りました。それは、前回の川井の金は、今でいう62キロ級での金、そのクラスを妹に譲って今回の快挙。彼女の最後のコメントが印象に残りました。それは「私が負けたら、妹は心の底から金メダルを喜べない」と。姉妹で「金」誠におめでとうございます。石川県出身。
昨日、もう一つ私が注目していたのが競歩。銀メダルの池田向希選手が、みちょば(池田美優)と親戚で「はとこ」ですって。私今日までみちょばさんって知りませんでした。これからみちょばさんが出るテレビを見ます。どの方か教えてください。いずれにせよ、池田家の皆さん誠におめでとうございます。静岡県浜松市出身。浜松は1964年の東京オリンピック招致活動に尽力した田畑政治氏の出身地。陸上の池田、水泳の田畑か。
私がオリンピックの前から注目していたのは、山西利和さん。彼は京都の堀川高校から京都大学工学部卒、という学歴です。まさに文武両道のアスリート。堀川高校は二条城の南東堀川道に面して建てられ、私の出身の二条中学反対のは二条城の北西に位置します。お互い歩いて15分程度でしょうか、近くです。その高校から、京都弁でいうと「堀川高校から偉い賢い凄い奴が出たもんや」。「二条中学も隣の朱雀高校も負けるがな。昔は京都の高校と言うと、どこもかしこも皆同じようなレベルだったのに、最近は堀川高校が随分進学校になったんやなあ」。こんな感じでしょうか。私が京都を出てから57年、考え方に間違いはないですか?
卒業後は京都大学へ。1936年ベルリン大会三段跳び金メダリスト田島直人の後輩です。学問ではノーベル賞第一号の湯川秀樹先生、今世界でバリバリ活躍中の山中伸弥先生。まだまだおられます。これらは京都人の自慢。スポーツの町、文化の町。京都はとにかく学生さんと先生を大切にします。同志社を「どうやん」、立命を「りっちゃん」。親しみを込めてこのように言います。京都の皆さんは、学生さんとは友達です。しかし、東京から来た、東京弁ではっきりものをいう大人の人には、「なんや、あの人、すかん人や、東京弁やで」こんな感じです。早く言うと「いけず」な人が多いのです。私の父は栃木県人ですので、この件では、いつも怒っていました。さて、山西選手は、堀川高校、京都大学、それに競歩が強い。「なんで神様は一人の方に二つも三つも物凄い能力をお与えになるの。私にも、少しは分けてえな」これが京都人の今回の山西選手への最大限のお褒めの言葉。兎に角、山西選手「銅メダル」誠におめでとうございます。京都に凱旋されたら「いけず」な人が、皮肉った言葉でお祝いを言うと思いますが、心はええ人です、勘違いしないでね。私の父は勘違いばかりしていました。
今日の締めは、清水希容選手。「いやー!かっこよかった」気合が入り最高でした。「出身はどこやー」。東大阪大学敬愛高校から関西大学。「大阪か―」これも「いけず」な京都人風にいうと「大阪もやるやん」こんな感じでしょうか。でも、世界は広いですね。彼女よりもっと凄い選手がスペインにいました。それがサンドラ・サンチェス選手。そういえば、私が世界を少しばかり旅すると目につくのが「KARATE]の看板。これを見たときは旅の先々で嬉しくなります。ボクシング、柔道、テッコンドー等の看板より多く見られます。調べてみると競技人口は非常に多いです。その中であの演武。私はほれ込みました。「大阪もやるやん、どころではありません。演武のノーベル賞、京都も、シッカリせんとあかんでー」。
きょうのオリンピック、女子ゴルフ、空手男子、スポーツクライミング女子、サッカー男子3位決定戦、女子レスリング、陸上の数々の決勝、女子やり投げ、女子1500メートル、そして、日本が注目する男子400メートルリレー、あの京都洛南高校出身の桐生選手のコンディションは、そして何よりこの東京大会選手団主将の山縣選手の調子は如何か・・・。
そうだ!山縣選手、あの最終聖火ランナー坂井君と同じく広島の出身。そうそう今日は、坂井義則君、吉永小百合さん、1945年生まれ。私のオリンピックだけでなく、広島の原爆投下についても、様々考えなければならない日でしたね。