9月24日「なぜ野球・ソフトボール・日本式ティーボールが台湾でこれほどまでも普及しているのか? アメリカとの違い」

 皆さん! 台湾の中央銀行が発行している「伍百円」紙幣の表のデザインが何かご存知ですか。それは台湾のリトルリーガーが、世界一になった時の「絵・デザイン」です。11人の野球少年が、大空に向かいジャンプしているものです。これは何を意味するのか。喜び、誇り、チームが世界一として認められた証、台湾にとっては本当にこの世界一という快挙は、大変な感動だったのでしょう。五百円紙幣にする程、台湾の人たちは、野球を大切にしています。

 私と台湾との関係は、1971年アメリカ留学から帰国した時に遡ります。大学時代の友人で当時の南海ホークススカウトの市原稔君から「吉村! アメリカで、この金額で日本に来てくれるいい選手はいないか」との質問。私は「ううん! この金額では難しいなあ。なぜアメリカからこの金額で選手を採ろうとするのか、今、シカゴカブスは、台湾のリトルリーガー上がりのいい選手を2人採ったぞ。日本も台湾から初めていい選手を採ったらどうだ」と進言しました。その後、彼は、台湾からのリトルリーグの名選手であった高選手と李選手を採りました。この試みを当時の野村監督は認めたのでした。

 それから約20年たって、1990年三商行分有限会社 日本支店長の張済東氏から下記のような招待状が私の手元に来ました。それは、「お送り頂いた本と雑誌を受け取りました。陳総裁に代わって、吉村先生にお礼申し上げます。 さて、早稲田大学スローピッチのソフトボールチームの訪台を、我が社は大歓迎いたします。今年8月1日から15日まで、下記のとおり、スケジュールを組みましたので、先生からのご返事をお待ちしています。」

 8月1日台北着、2日と3日は台北交流試合 4日は新竹交流試合、5日台中交流試合、6日と7日は台南交流試合、8日と9日は高尾交流試合、10日11日は屏東観光、12日は台東観光、13日は花蓮交流試合、14日は花蓮観光、15日は帰国。というもの。

 私がお送りした本は、大修館書店から出した「ソフトボール教室」(吉村正著)の中国語版です。雑誌は「ソフトボールマガジン」(ベースボールマガジン社)です。当時私は3・4本連載していました。写真や漢字を見れば理解できるものと思い、台湾には継続的にお送りしていたのです。

 物凄くありがたい招待状でした。私はなんとしても早稲田の男子チームを台湾に連れて行きたかったのですが、結論から言うと、お断りせざるを得ませんでした。それは、この遠征帰国後にすぐ「全日本大学ソフトボール選手権大会」が控えていたからです。8月の初め40度を超える台湾に2週間も行って選手たちのコンディションが保たれるか、選手の健康を心配したのでした。

 上記の招待状で最近気が付いたのですが、この返事の宛名は、「徐熊良先生」とあります。これは誰か分かりますか。あの台湾ティーボール協会で「陳総裁のご子息陳翔立氏」の代理をしている方です。アジアティーボール連盟を創設するときの、台湾側の責任者。早稲田大学国際会議場や西武ドームも何回かお越しになっています。

 さて、それではこのような招待状がなぜ私に来たのか? それは、昨日のアメリカの野球・ソフトボールの普及活動について書いた内容にも関係してきます。普及方法の知識を私が持っていると判断してくださったからです。この招待状が来る1・2年前に、張支店長は早稲田大学人間科学部(所沢)の私の研究室にお越しになりました。そこで、彼からは「台湾はこれからプロの野球リーグを創設したいのですが、今後台湾野球界ではどのようにすれば成功するのか」と言う質問でした。そこで私は当時のアメリカのメジャーの現状を説明。「いい選手がいればチームはすぐ作れる。しかし、成功させるためにはそれだけでは不十分。球場に行く観衆を増やすことが大切です。スローピッチソフトボールのチームを台湾全域でお作りください。そのためには「三商杯争奪スローピッチソフトボール大会を各地域で、スタートさせることです」と申し上げました。1988・1989年頃だったと思います。それを受けての1990年の招待状でした。

 その後、プロ野球は4チームでスタート。その初代コミッショナーはこの三商の陳総統。勿論4チームの一つは三商のチームです。現在、台湾におけるスローピッチソフトボールのチームは、約5000チームほどあり、プロ野球の観衆も結構多いと聞いています。それは、野球の底辺であるソフトボール人口が増え、観衆も増えたのです。40年、50年前のアメリカと同じで、今のアメリカの反対です。

 さて、そんな台湾ですが、今から10年ほど前に、野球賭博が社会問題になりました。そんな時ですか、子ども達に正しい野球をきちんと教えよう。野球エリートのリトルリーグの子ども達だけでなく、一般の小学生にも野球の面白さを広めようという動きが起こったのです。その仕掛け人が、台湾政府、三商の陳総統のご子息陳翔立、そして徐さんたちでした。この日本式ティーボールを学校や地域や職場で広めようとなったのです。今、台湾では、日本で発売しているJTAケンコーティーボールオレンジ11インチに類似したボールが、年間約20万個売れていると聞いています。それ程競技人口が増えたのです。子ども達にも市民にもきちんと野球型を教えたお陰で、野球を更に理解する人が増え、八百長もなくなり、プロ野球を観戦に来る親子連れが増え、皆が喜ぶ状態になって来たのです。

 これらの延長線上で、日本のプロ野球界にも、台湾からの素晴らしい選手が多く来日し、活躍しています。女子ソフトボールチームも、現在世界のランキングでは6位と強いです。これは、1位日本、2位アメリカ、3位カナダ、4位メキシコ、5位プエルトリコの次です。因みに、7位は中国、8位はイタリア、9位はオーストラリア、10位はニュージーランドです。このように、野球の底辺をティーボールやスローピッチソフトボールで強固なものにしておくと、その競技として行う野球やファーストピッチソフトボールは盛んになりまです。

 台湾は、現在日本式ティーボールを行う連盟は3団体あります。その3団体が競って普及に努めています。学校関係に強い連盟、地域に強い連盟、職場に強い連盟等それぞれ特徴があります。因みに、プロ野球初代コミッショナーのご子息陳翔立氏は当時一つの協会の会長でした。2010年1月23日「第17回日本ティーボールセミナー」には徐熊良氏とお二人で早稲田の国際会議場にお越しくださったのは、記憶に新しいところです。

 このように、台湾野球界と私は、長い間のお付き合いがあるのです。日本には、台湾のように野球デザインの「五百円紙幣」こそないですが、日本も台湾も野球の好きな人が多いです。今後とも仲良くして行きたいですね。そして、野球人口を減らさないように日本式ティーボールとスローピッチのソフトボールを今まで以上に普及させ、野球界を救いましょう。

 昨日のアメリカの野球界の現状を心配したので、今日は、日本式ティーボールの普及に成功し、野球・ソフトボール界に元気を与えている台湾を紹介しました。