1月29日 「福島県立只見高校」のセンバツ出場を熱烈応援します。ほとんどの選手は福島県ティーボール大会の出場経験者

 昨日の夕方、福島県連盟の鈴木隆司評議員から電話がありました。内容は「福島県立只見高校」が、今年のセンバツ甲子園大会の出場が決まった。部員は15名と少ないですが、21世紀枠で選んで頂いた。この選手たちのほとんどは、全国大会予選福島県荒川杯争奪ティーボール大会に出場している。是非、この名誉を日本ティーボール協会でも発信してください」とのことでした。

 早速、今日の朝日新聞と日刊スポーツを読んでみると、只見高校が大きく取り上げられています。先ず、朝日新聞では、「センバツ21世紀枠 只見(福島)」「過疎の町 15人でつかんだ春」これが見出しです。内容は「只見がある奥会津地域は過疎化と少子化が進み、生徒数はわずか86人、野球部員は、マネージャーを含めて15人だ。冬は積雪3メートルにもなる有数の豪雪地帯にあるため、例年の11月後半から4月上旬の約4ヵ月間はグラウンドが雪に覆われて使えない。(中略)選手の中には、2011年7月に只見町を襲った新潟・福島豪雨で被災した生徒もいる。JR只見線は今も一部不通が続き、全線での運航再開は今秋の予定だ」と記載されている。

 日刊スポーツは、見出しが、「只見15人に春が来た」「豪雪ハンディ超え県8強」「県高野連木村理事長アシスト名演説」宝会長の言葉を引用して「小さな学校ですが、大きな夢を実現」選手の皆さん!おめでとうございます。本当に良かったですね。

 鈴木隆司評議員は、矢吹町の議員さん。昨年12月26日の全国小学生ティーボール選手権大会では、蛭田泰昭町長はじめ、議長、議員等約10名の視察団がメットライフドームにお越しになりました。鈴木さんのご尽力で、町長はじめ町をあげて、全国小学生ティーボール選手権大会福島予選会を開催してくださっています。その大会の常連チームがその豪雪地帯からくる只見の小学生チーム。この度の選手は7年前に出場した児童がほとんどです。これを知ると応援したくなりますよね。

 「会津只見」。実は私、この地で大学院の「修士論文」を書きました。1974年の夏休みを利用して、私の大学時代の親友で当時高校の先生をしていた彼に「この夏場に涼しくて、10日ほどゆっくり泊まりながら修士論文を執筆できる宿がないか」と質問したところ、彼はこの「会津只見」を紹介してくれたのです。その論文の題目は「アメリカにおけるソフトボール型球技の変遷とその考察」でした。

 以下がその目次です。

 第1章:第1節、国家主義台頭期の社会(1789~1865年)、第2節、この時代のレクリエーションとスポーツ、第3節、ベースボール発生過程の考察

 第2章:第1節、国家主義の社会(1865~1900年)、第2節、この時代のレクリエーション活動、第3節、この時代にアメリカで考案された球技、第4節、ソフトボールの発生過程の考察

 第3章:国際主義台頭期(1900~1929年)第1節、国際主義台頭期の社会、第2節、この時代のレクリエーション活動、第3章、この時代のソフトボール

 第4章:国際主義(1929年から現在)(この現在は1975年の意)第1節、国際主義の社会、第2節、この時代のレクリエーション活動、第3節、ソフトボールの黄金時代へ(全米1の球技へ)

 とあります。そこで出てくるキーワードが、「アブナー・ダブルデー」「アレキサンダー・カートライト」「プレイグラウンド」「ハンコック」「ローバー」「デグルート」「経済恐慌時のレクリエーション」です。これらは、ベースボール型球技を研究するうえで、必ずと言っていいほど知っておかなければならない重要な人物、あるいは大切な活動なのです。これらの総まとめの執筆をこの「会津只見」で行ったのでした。

 この修士論文を、1975年2月に日本大学大学院文学研究科教育学専攻の研究室に提出して、その1か月後の4月から早稲田大学体育局に奉職したのです。その時の私の研究分野は、「ソフトボールの研究と指導」「国民皆ベースボールの研究」「健康教育」。これが12年後、所沢に人間科学部が創設され、人間健康科学科に移動するまで続くのでした。この体育局在職12年間のスタートと思われる研究を、私はこの福島県「会津只見」で行ったのです。

 47年前、「会津只見」での10日間、地元の方々には大変お世話になりました。

 只見高校の甲子園での活躍を祈念いたします。勿論、めちゃくちゃ応援します。